歌手 庄野真代さん

インタビュー

輝く人 インタビュー 2月号 Vol.89

人の笑顔と楽しんでいる姿が最強の原動力

歌手として国内外で活躍する傍ら、NPO法人「国境なき楽団」を創設し、社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる庄野真代さん。
音楽を始めたきっかけ、ボランティアへの思いを伺いました。

最後のつもりの音楽祭で歌手活動が本格スタート

小さなころから音楽に親しんでいたのでしょうか?

 音楽という観点で過去を振り返ってみると、まず思い出すのが小学校の卒業文集ですね。卒業文集といえば普通、学校での思い出や将来の夢などを綴っているものですが、なぜか私のページには自作の楽譜が載っているんです。いきさつは覚えていませんが、おそらく担任の先生が、私の個性を見抜いてそれを引き出そうと計らってくれたのだと思います。実際に、これが私の記念すべき曲作り第1号になりました。また中学に入って、音楽の先生の影響を大きく受けました。好きな歌を好きなように歌うことを重視した独特の授業で、音楽の楽しさや魅力を教えてもらったんです。

そして、高校で本格的に音楽活動を始めたわけですね。

 始めは中学時代に知り合った他校のイケメン生徒会長を追っかけて参加したバンドです。動機は不純でしたが、タンバリン、ギター、コーラスを経て、「翼をください」でリードボーカルになり、気付いたら音楽中心の学生生活になっていました。大学受験でどんどんメンバーが減り、最後は私一人になってもソロで活動を続けたほどです。受験に失敗して浪人生になった後も、音楽との縁は切れませんでした。それどころか、浪人中にヤマハのタレントボーカルオーディションに合格したことで、目標が受験から歌の仕事へとシフトしていきました。そして、20歳で大きな転機が訪れました。音楽をやめて別の道に進むつもりで最期に参加した「フォーク音楽祭」で、あるレコード会社の目にとまり、「アルバムを作ってみないか」と声を掛けられたんです。音楽をやってきた自分の証が残せると思い、即OKしました。

歌手・庄野真代の誕生ですね。

庄野真代さん 成り行きでここまできた分、それからが大変でした。そもそもアルバムを出すのは、私の思い出作りのためではありません。皆さんビジネスとして必死でやっているので、私もいい加減な気持ちではいられないと悟りました。改めてプロとして気の引き締まる思いで、1曲1曲を全力で作り、全力で歌いました。ある日、その頑張りがたたって体調を崩し家で寝ていたときのことです。父が私の寝床で「お前の仕事には代わりがないんだから病気はするな」と言ったんです。これまで黙って私の選択を見守ってきてくれた父の言葉だけに、すごく心に響きました。このひと言で、私にしかできないことをやっていく覚悟ができたような気がします。

地球市民の一人として役に立てることをしたい

歌手であると同時に、NPOの活動にも取り組まれていますね。

 1980年に歌手活動を休業し、2年間かけて世界一周旅行をしました。そして、40代での大学進学をきっかけに、1年間ロンドンに留学しました。そのときに人々の生活や文化、環境など世界のさまざまな姿を目の当たりにしたことで、私は「地球市民の一人」なのだと実感するようになったんです。
地球市民の一人として私ができることはないかと考えた結果、音楽を通して人と人とをつなごうという思いが芽生え、NPO法人「国境なき楽団」を立ち上げました。その情報発信の場としてコミュニティカフェ「コムカフェ音倉」を作り、今年の4月にはセミナーやミーティング、宿泊など多目的に利用できるゲストハウス「風歌ハウス(fuga house)」もオープンさせました。

そうした活動の原動力は何なのでしょうか。

 私は、人が笑っている姿、楽しんでいる姿を見ていると、すごく元気になれます。仕事においてもボランティアにおいてもそれが最強の原動力ですね。だから、これからも音楽を通して皆さんを笑顔にできるようなことを見つけ、続けていきたいと思っています。

最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。

 何か人のためになることをしたい、そう思っている人は多いと思います。でも、思っているだけでは形にはならないので、ぜひ口に出してみてください。実は、私がロンドン留学時代にチャリティーコンサートを開くことができたのも、何気なく友人に話したことがきっかけでした。思いを口にしたとたん、場所を手配する人、チラシを作る人、さらに音響や照明を提供してくれる企業まで、その輪がどんどん広がっていったんです。口に出せば、それに賛同してくれる人が見つかるかもしれません。また、同じことを考え、すでに立ち上がった人の存在に気付けるかもしれません。必ず、何かを始めるきっかけをつかめると思います。

庄野 真代 (しょうのまよ)
1954年12 月23日生まれ。大阪府出身。
1976年シンガーソングライターとしてデビューし、78年には『飛んでイスタンブール』『モンテカルロで乾杯』のヒットで、NHK 紅白歌合戦出場を果たす。
1980年、歌手活動を休業し世界1周旅行へ。復帰後はアジアにも活動の場を広げていく。
2000年に法政大学、2004年に早稲田大学大学院へ進学。
2006年にはNPO法人「国境なき楽団」を設立し、以降、世界に向けたチャリティー活動にも力を注いでいる。

Com.Cafe音倉

 

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