輝く人141 宮川花子さん

インタビュー

100戦100勝して、大助君と一緒に99歳まで生きる!
夫婦漫才の第一人者として活躍し続ける「宮川大助・花子」の宮川花子さん。
闘病中にもかかわらず歯に衣着せぬ軽快なトークで、夫・宮川大助さんとの思い出を語ってくださいました。

私の逆プロポーズから誕生した夫婦漫才コンビ

子どものころから、お笑いに興味があったのですか?

大阪の子ですからね。お笑いはすごく身近な存在でした。昔は『ヤングタウン』という素人参加型の番組があって、賞金目当てに皆がそういうのによく出ていたんですよ。私も中学3年生のときだったか出場して受賞。2万円をゲットしました。見ての通り、ちっちゃいころからハチャメチャな性格、目立ちたがり。カメラの前でも、生意気な子どもだったと思いますよ。でも、しょせん素人ですから。高校を卒業した後は公務員として就職、警察官になりました。

大助師匠との出会いは?

 警察官を辞めて、友人の誘いでチャンバラトリオに入門した後ですね。そのころ、大助君は左近師匠の弟子をしていて、お互いの仕事場で初めて顔を合わせました。昭和50年の7月だったかな。当時、私はすっごくかわいかったから、大助君のほうが私を好きになっちゃったんですよ。でも私から見たら、彼はひと目惚れできるようなタイプじゃなくて、まじめ一筋。言い寄られたら困るなと思ってました。でも、10月に再会したとき「この人、ほんまに私のこと好きなんや」と気付いたら、急に気になっちゃって。小さな脳みそでいろいろと考えた結果、その次に会ったときは「お兄さん、私、鳥取に行ってもええよ」と逆プロポーズしちゃったんです。

コンビを結成したのは、結婚後だったんですね?

そうです。結婚当時、私は警備会社に勤めていて、全国4位になるくらいの腕利き万引きジーメンをやっていたんです。一方の大助君は、ほかの人とコンビを組んでコンテストを受けたりしていました。でも私は、芸人の嫁には絶対になりたくなかったんで、あるコンテストに入賞できなかったことをきっかけに、大助君にも漫才をやめてもらい、私と同じ職場でガードマンになってもらいました。でもね、大助君にはずっと漫才をやりたいという夢があって。仕事の合間にひたすらネタを書き続けているんですよ。その努力を横で見ていたら、夫婦で漫才師になるのも悪くないなって思えるようになりました。

いまの私があるのはすべて大助君のおかげ

大助さんはどんな方ですか?

 ああ見えて、すっごいロマンチストなの。私が逆プロポーズしたときは、「そういうのは男から先に言うもんや」って。吉田拓郎さんの『となりの町のお嬢さん』のレコードに、「好きです」ってメッセージを書いてプレゼントしてくれたりね。でもね、この話にはちゃんとオチがある。この歌、最初の歌詞は「となりの町のお嬢さんが僕の故郷(くに)へやってきた~♪」と浮かれてるんだけど、3番になると「となりの町のお嬢さんは僕をのこして行っちゃった~♪」って、結局いなくなっちゃうの。ちゃんと最後まで歌を聞いてから贈りなさいって思いましたね。結婚後にケンカをしたときは仲直りの印として、「リボンの騎士」のサファイア姫になぞらえたサファイアの指輪が、そっとベッドの上に置いてあったこともありました。

大助さんとの人生で、一番うれしかったことはなんですか?

大助君に同じ質問すると、「君と結婚したこと」って即答するんですよ。でも、私はそうは思わなくて。年を重ねる都度、違ううれしさがあったのかなって。その中で、いまパッと思い浮かんだのは、「ナイス・カップル賞」を受賞したことですかね。お笑い関係でいろいろな賞をいただきましたけど、これはほんまにうれしかった。夫婦漫才やってきて間違いなかったんやと確信しましたし、漫才師というよりも、夫婦で頑張ってきたことが認められた気がしてすごく幸せな気持ちになりました。あと、最近で記憶に残っているのが、文化庁の芸術選奨をいただいたこと。まず、加山雄三さんの横に名を連ねたことにびっくり!あのときは「この夫は、私をどこまで大きくしてくれるんだろう?」って思いました。これは大助君が努力を重ねて、まじめにまじめに生きてきたご褒美や、と本当に感謝しました。実は、あの日を忘れられない理由がもう1つあります。それは、授賞式が2011年3月11日だったこと。会見の数時間後に東日本大震災が起こったんですよ。その後すぐ、被災地に何度も足を運ぶようになって、私と東北の間に新しいつながりができました。考えさせられることがいろいろとあって、ただ有頂天になって終わるだけの人生が大きく変わりましたね。

読者にメッセージをお願いします。

 コロナ禍で世の中が大変ないま、若い人たちがすごく頑張ってくれているので、私たちみたいな年寄りは、それに感謝しないといけないなと常々感じています。それはお笑いの世界も同じ。だから、日々若手に感謝しつつ、このまま追い抜かれたらあかん、と私も頑張っています。
いまは、1日の4分の3をベッドの上で過ごす不自由な生活ですが、編み物など大好きなことをやって、かっこいい女性の生き方を見せたいな、と。正直、「がん」との闘いは辛いです。でも、100戦100勝して大助君と一緒に99歳まで生きる、それが今の私の目標です。

宮川花子(みやがわはなこ)
1954年8月28日生まれ。大阪府出身。
高校卒業後、警察官を経て、チャンバラトリオに弟子入り。その後、一時お笑いをやめて警備会社に勤務していたが、大助氏と結婚後、1979年にコンビ「宮川大助・花子」を結成。
ABC漫才・落語新人コンクール・最優秀新人賞をはじめ、上方お笑い大賞、情報漫才大賞、花王名人大賞などで大賞を受賞し、夫婦漫才として不動の地位を築いた。
東日本大震災後の支援活動をきっかけに、「おおふなと復興応援特別大使」も務めている。

 

 

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