心を充たす旅 静岡県熱海市 熱海の華・芸妓のいま

旅・生き方

熱海の華・芸妓のいま

水白粉(おしろい)に島田髷(しまだまげ)。世界的に珍しい「芸妓」「芸者」の花柳界(かりゅうかい)を訪ねます。

世界的に知られる「ゲイシャ」

 いまはあまり使われなくなった「フジヤマ」「ゲイシャ」という言葉。かつては国際社会で日本を象徴する言葉として使われました。「ゲイシャ」は、19世紀末の欧米で作曲家シドニー・ジョーンズによるオペレッタ「ザ・ゲイシャ」が相当数上演されたことで、日本女性を象徴する言葉として世界的に知られるようになりました。
ちなみに「芸妓(げいぎ) 」も「芸者」もほぼ同義語で、新橋や浅草では後者が使われています。
温泉観光地である熱海でも、いまなお多くの芸妓さんが活躍しています。その芸妓さんを束ねているのが、熱海芸妓置屋連合組合の西川千鶴子組合長です。西川さん自身も、長年お座敷に上がってきた生粋の芸妓です。今回は、その西川さんを訪ねました。

かつては千人を超える芸妓が

 花柳界の組合事務所「見番」が建てられた昭和29年、東京から熱海へと移り住んだ西川さんは「熱海に来て最初の夜。高台から観る宝石を散りばめたようにキラキラと光る熱海の夜景が素晴らしく、すぐに熱海が大好きになった」と言います。以来、芸を磨きながら多くの客人をもてなし人気を得てきた西川さん。現在は、若い芸妓衆を指導する一方、熱海花柳界をまとめる要として活躍しています。
「昭和30〜40年代は明けても暮れてもお座敷がかかっていました。千人以上も芸妓衆がいたんです。とにかく忙しくて、昨日来たばかりみたいな妓こ にお座敷に出てもらうこともありました。あるとき、さるご贔屓(ひいき)さんから500万円で着物を作ってやるとお申し出いただき、丁寧にお断りしたら、それが気に入ったと、2千万円で4着作ると言われたこともありました。」西川さんは当時を懐かしみ
ながら振り返ります。
熱海の宿泊客は、最盛期は年間530万人を超えましたが、2011年には246万人まで落ち込みました。いまは300万人を超えるまでには回復したものの、コロナ禍の影響により低迷しています。かつては千人以上いたという芸妓も、いまは80人ほどになったそうです。反面、置屋の数はあまり減っていないと言います。「コンパニオンでしたら芸を身につけなくとも座敷に上がれるでしょうが、芸妓はそうはいきません。一人前の芸妓になるためには、まずは礼節。言葉遣いに日常的な立ち振る舞いを徹底して叩き込みます。立ち方として花柳流の舞、地方(じがた)では三味線、太鼓、小唄、長唄等を習得する必要があります。歌も歌謡曲から民謡まで歌えなければ通用しないという厳しい世界です」と西川さん。数年かけてお座敷に上がれるようになってもまだ半人前で、関東では半玉(はんぎょく)さんと呼ばれ、桃割れの少女髷(まげ)に振袖姿。関西では舞妓(まいこ)さんと呼ばれています。さらに年季を積んで、ようやく島田髷姿の「芸妓」となります。

芸妓連の公演を熱海で鑑賞

 芸妓という存在。名前は知っていても、実際にお座敷でお目にかかったことがある、という方は少ないのではないでしょうか。どこに頼めばよいのか、いくらかかるのか、わからないことが多いので伺ってみました。「熱海では多くの場合、私どもの組合にお電話をいただきます。お客様から直接、または旅館を通していただいたり、各置屋さんにお願いすることもあります。謝礼は「玉代(ぎょくだい)」とか「お花代」と申しまして、1本30分、通常は4本2時間から受け付けています」とのこと。相場は一人2万円程度ですが、旅館の規模や格式を重んずることもあって料金は変動するそうです。
こう伺って、これは意外とリーズナブルかもと思いました。複数人で泊まって温泉に浸かり酒肴、そして奮発して芸妓さんをお呼びして場をつくっていただく。これはちょっとしたお大尽気分です。
世界的にみて、宿泊する施設で女将さんや芸妓さんが宿泊客をもてなす文化があるのは日本くらいで、この国特有の稀有なものといえそうです。
熱海芸妓見番の舞台では芸妓連の踊りを観賞することができます。通常は毎週末に「湯めまちおどり〜華の舞」が開催され、公演ごとにさまざまな曲の舞とお囃子が繰り広げられます(※)。
コロナ禍で暗いニュースが多いなか、少しでも世の中が明るくなるようにと、今年1月には熱海芸妓の名称を全国から公募し、新たに「まめっこ」というかわいいシンボルキャラクターが登場しました。「いままでと同じやり方ではダメですね。SNSなどのメディアを活用して、海外へも発信しなくては!」と西川さん。
最後に、長い芸妓生活で誇りに思うことをたずねると、「60数年間、ずっと休まず第一線でお座敷に立ってこられたことです」と、たおやかに答えてくれました。


 

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