輝く人127 宇崎竜童さん

インタビュー

阿木燿子の料理を食べていれば健康でいられる
1973年のデビュー以来、音楽家、そして俳優として第一線で活躍する宇崎竜童さん。
おしどり夫婦として知られる作詞家の阿木燿子さんとのエピソードやデビューのきっかけについて伺いました。

1日1曲をノルマに掲げ卒業時には何百曲も

いつごろから曲を作るように?

 大学2年ぐらいから作り始めて、1日1曲をノルマにしていたら、卒業するころには何百曲もできていました。作曲家になろうと思ったのは、4年生の秋の終わり。だけどどうやったらプロの作曲家になれるのか分からなかったから、義兄が立ち上げた音楽出版社で裏方として働くことになってね。新人アーティストのトレーニングからスカウトまで何でもやりました。当時はグループ・サウンズ全盛期で、ジャッキー吉川とブルー・コメッツなどのトップスターが所属していたんですよ。ギターの三原綱木さんなんて同い年なのに、16歳ぐらいからステージに上がっていてルックスも可愛い。2つ、3つ上には尾藤イサオさんや鹿内タカシさんがいて、そんな人ばかりだったから同じ土俵に乗ろうなんて思いもしませんでした。ただ、この人たちに曲を書きたいという気持ちはあってね。

デビューのきっかけは?

 次に立ち上げた会社でバンド用に曲を書いたら、オレのところにレコード会社が来てしまって。でもオレはスタッフ、しかも他に売り込みたいバンドがあるのに自分が表舞台に立っていいわけがない。もちろんお断りしたけれど、別の機会に歌を聴いたディレクターから「君は自分で歌ってデビューした方がいいよ」と言われたんです。でも歌うことは望んでいなかったから、ひと晩悩ませて欲しいと。家に帰ってエルヴィスプレスリーからビートルズ、ローリング・ストーンズ、吉田拓郎、岡林信康、はっぴいえんど、いろいろ聴いて、とてもじゃないけど同じ土俵の上には乗れないと思いましたよ。そうしたら、泉谷しげるのレコードが足元に落ちたんです。それまで何十回と聴いていたデビューアルバムだけど、改めてジャケットを見たら不細工だし(笑)、歌なんて鼻歌みたいじゃないかと。俺とちょぼちょぼじゃんと思ったら自信がついて、「レコード作らせていただきます」って返事をしました。

その後は作曲家としても活躍し、奥様の阿木燿子さんとは山口百恵さんへの提供曲をはじめ多くのヒット曲を生み出しています。

 彼女とは大学の同級生で、作詞家を奥さんにしたんじゃなくて奥さんが作詞家になっただけですからね(笑)。百恵さんのころは詞を先に書いていましたが、阿木は作る過程で苦しむような姿を私には見せませんでしたが、実際は苦しんだと思います。

60年一緒にいるけれどいまだに学ぶことだらけ

映画『痛くない死に方』には明るい末期の肝臓がん患者役で出演されています。

 高橋伴明監督とは古くからの友人で、これまで彼が呼んでくれた時はどんな役でも出てきました。今回もあとから脚本を読んでいい話だな、いい役だなと。大工の役ですが、全共闘世代という共通点があったりして、あの役の中には高橋伴明の魂が入っています。だから彼自身を演じようと思って芝居しました。

宇崎さんは今年で75歳。体型も変わりませんが、健康の秘訣は?

 運動は嫌いだし好き勝手やってるだけですよ。でも結局は、食事が健康のもとになっているのかな。阿木燿子の料理を食べていれば健康でいられる。8割から9割が野菜なんですよ。頼っているのは食事だけじゃなくて、何か答えを出さなきゃいけない時に決めかねると、仕事からプライベートまであらゆることを相談しています。そうするとだいたい正しい答えを言う。18歳から付き合っているからもう60年近く一緒にいますけど、ほとんど彼女の背中を見て学んでいます。そうは言っても学びきれていないことの方が多くて、あの人がいなくなったら何も決められなくなってしまうでしょうね。だから大事にしなきゃなと。今はコロナの問題で別れる夫婦も増えているようだけど、男は奥さんを大事にして、奥さんは旦那さんを大事にしなきゃ。人は誰かがいて初めて生きていられるんだから、赤の他人に対してもね。それから、歳を取っても誰かのために指導をしたり、趣味でもいいから世の中のためになることをやっていたら、それが生きる励みになるんじゃないかな。僕だってこれまで何度も歌うのをやめようと思ったけど、僕の歌でも「励みになりました」とか「生き返りました」と言ってくださる方がいる。そういう人が1人でもいてくれるんだったら、来た仕事は全部受けようと思っています。

宇崎竜童(うざきりゅうどう)
1946年生まれ。1973年にダウン・タウン・ブギウギ・バンドを結成してデビュー。「スモーキン’ブギ」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」など多くのヒット曲を生み出す。作曲家としても多数のアーティストへ楽曲を提供。阿木燿子とのコンビで「横須賀ストーリー」「プレイバックpart2」「さよならの向う側」など山口百恵に多くの楽曲を提供、黄金時代を支える。2019年、阿木燿子と共に岩谷時子賞特別賞受賞。自身のライブの他、映画・舞台音楽の制作、俳優等で幅広く活動中。

映画「痛くない死に方」

 

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