禁断の江戸史

コラム

江戸の「常識」と思われていた時代観念を破壊するような知られざる史実や事件を歴史研究家・河合敦先生が紹介します。

教科書に載らない江戸の事件簿⑤

江戸時代の大変な出産

 令和二年( 二〇二〇) 一月一日現在、日本の人口は一億二千六百二万人(総務省統計局概算値)。一年前よりなんと三十万人も減ってしまっているのだ。原因はいうまでもなく少子高齢化。高齢者が死ぬのは人間の定めなので仕方ないけれど、問題は子どもが増えないことである。政府は子育て支援に取り組み、いろいろと旗を振っているのに、令和元年に生まれた子どもはたったの八十六万四千人。わずか五十年前には二百万人を超えていたのだから、その減り方のすさまじさには驚かざるを得ない。
将来への不安、子育てより楽しい娯楽の増加など、さまざまな要因が重なって、いまの日本は女性が子どもを産みたいという気持ちの持てない社会になってきているのだろう。
では、江戸時代の女性は、一生のあいだに何人ぐらいの子どもを産んだのだろうか。
残念ながら、正確な統計は存在しない。ただ、当時の諸記録から類推すると、独身で一生を送る女性は少なく、結婚すると生涯に五人程度は子を産んでいたと思われる。
しかし疱瘡(ほうそう)や腸炎、結核といった病気により、生まれた子の多くは幼くして死んでしまい、成人できるのは半分程度だったと考えられる。衛生状態も悪い当時のことだから、出産時の死産も多く、妊婦が亡くなってしまうケースも多々あった。
また、堕胎(だたい)や間引き(生まれてすぐ殺害)も多かった。避妊の技術が極めて不完全だったこともあり、夫婦生活を続けていれば、女性は何度も妊娠を繰り返すことになる。とはいえ、多くの子どもを育てる経済力がない夫婦もいるだろうから、彼らは堕胎薬や産婆の力を借りて生まれてくる子を葬(ほうむ)ってしまったのだ。ちなみに、堕胎薬の中の「朔日丸(ついたちがん)」は、避妊薬としての効果も信じられていた。女性が生理の一日目に飲むと妊娠しないとされたのだ。ただ、かなりの劇薬が使われていたようで、これを飲み続けると一生妊娠しない体になってしまうともいわれていた。幕末になると「茎袋(きょうたい)」と呼ばれる動物の皮でつくったコンドームも西洋から伝わってきたが、使用例はほとんどなかったと思われる。遊女などは紙を丸めて膣に入れ妊娠を防いでいたというが、効果ははなはだ疑問であろう。
さて、いまでも出産は大変な一大事だが、当時は麻酔による無痛分娩や帝王切開などないので、難産になると、その痛みや苦しみは想像を絶するものがあったろう。
そこで今回は、現代とは大きく異なる、江戸時代の出産について紹介しよう思う。
(~中略)
それなりの資産を持つ家柄の妊婦は、陣痛がはじまると、産室と呼ばれる狭い部屋や小屋へ移され、産婆の助けを借りて出産するのが一般的であった。出産は穢(けが)れという考え方が強く、日常の生活空間から遠ざけたのである。
驚くべきは、当時の出産体位であろう。座位なのだ。妊婦が用いる椅子を「椅褥(いじょく)」というが、そうした椅子や布団を重ねたものを敷いて壁に寄りかかるなどして、座ったままで子どもを産み落としたのである。
ただ、座位というのはすでに縄文時代の土偶や平安時代の絵巻物にも登場し、日本古来のスタイルだったことがわかっている。いきむときには天井から吊した縄( 泰産縄(にゃすなわ))にしがみついた。これも理にかなっている。ただ、むごいのは、いくら辛くても横臥(おうがい)できないことであった。たとえば先の『中条流産科全書』には、「産に向ひ身持様の、側へよりかかる事なかれ。胸腹痛むとて仰(あおむ)くなかれ、子返りせんとて痛むものなり」と書かれているのだ。
さて、ようやく大変な出産を終えた。これで妊婦もようやく横になってゆっくり眠ることができる。そう思うのは、大きな間違いだ。『中条流産科全書』には、「物によりかからせ、足を少し屈(かが)め、少しつゝ睡(ねむ)らせ、多くねむらせず。酢をはなにぬり、振薬(泡立てた薬)に童便(赤子の大便)少しつゝ加へて用ゆる也」 とある。なんと子どもを産んだそのあとも、妊婦は寄りかかりながらも座り続けなくてはならない。足を伸ばして寝てしまうと、頭に血がのぼって病気になると固く信じられていたからだ。しかも、あまり眠らないように、鼻に酢を塗りつけられ、赤ん坊の大便入りの薬を飲まされる。これでは、たまったものではない。
しかも残酷なことに、その苦行は数日間続いた。うっかり熟睡してしまうと、鬼に生まれたばかりの子の魂を奪われてしまうと信じる地域もあり、新生児を守るために母親が寝ずの番をしていなくてはならなかった。
そんなわけで親族の女性たちが代わるがわる出産した母親のもとに付き添い、大きな声でおしゃべりするなどして彼女を寝かせないように見張っていたという。まさに拷問(ごうもん)以外の何ものでもない。その後、睡眠がゆるされるようになっても、産後数週間は座る生活を強(し)いられたのである。江戸時代、妊婦の死亡率が高かった理由がよくわかるだろう。

 

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