禁断の江戸史「刃傷沙汰(にんじょうざた)の原因がわからない忠臣蔵のジレンマ」

コラム

江戸の「常識」と思われていた時代観念を破壊するような知られざる史実や事件を歴史研究家・河合敦先生が紹介します。

教科書に載らない江戸の事件簿③

刃傷沙汰(にんじょうざた)の原因がわからない忠臣蔵のジレンマ

(前略)
さて、事件の始まりは、元禄十四年(一七〇一)三月十四日午前十一時ごろ。江戸城の本丸御殿松の廊下で播磨赤穂(はりまあこう)藩主の浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が、「このあいだの遺恨(いこん)、覚えたるか!」と叫んで高家肝煎(こうけきもいり)(筆頭)の吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)に背後から小刀で襲いかかったのである。吉良は額と背中を斬りつけられたが、近くにいた梶川与惣兵衛頼照(かじかわよそべえよりてる)がすぐに浅野を抱きとめたので、出血はひどかったが命に別状はなかった。
将軍は毎年、年賀の挨拶のため朝廷へ使いを派遣するが、返礼として天皇の使節が江戸城を訪れる。この日は、将軍が江戸城で勅使(ちょくし)に奉答の儀をおこなう予定になっていた。しかも浅野は勅使饗応役(きょうおうやく)(接待係)として殿中にあったのである。対して吉良は、儀式の指南役(教師役)だった。教わる側と教える側、いったい両者にいかなる確執があったのか。
赤穂事件から約五十年後に確立した『仮名手本忠臣蔵』(赤穂事件をモデルにした脚本)では、その理由ははっきりしている。勅使饗応役は指導を受ける高家に付け届けをするのが常識だったが、浅野は吉良に相応の品を贈らなかった。そこで、ことあるごとに吉良から妨害を受けたり、ウソの作法を教えられたりといじめ抜かれ、その結果、逆上して刃傷沙汰(にんじょうざた)にいたった。講談や歌舞伎の中での吉良のいじめ方はすさまじく、ある意味では、歌舞伎や講談がここまで吉良を悪党に仕立て上げてくれたおかげで、浪士の討ち入り成功の際、私たちは爽快感を味わえるのである。
では、史実はどうだったのだろうか。 刃傷沙汰のあと、浅野と吉良は引き離され、個別に尋問を受けている。吉良はショックのあまり、衰弱した様子を見せていた。額の傷は骨まで達しており、六針を縫うことになった。背中の傷は三針で済んでいる。取り調べで吉良は「自分は浅野に襲われる覚えはない」と怨恨関係(えんこん)による襲撃をきっぱりと否定した。そして「たぶん、浅野殿は乱心したのではないか」と証言している。
いっぽう浅野の尋問に関しては、その内容は伝わっていない。ただ、恨みがあったというだけで、どうやら詳しい理由は話さなかったようだ。取り調べをした目付の多門伝八郎重共((おかどでんぱちろうしげとも)は「時間が与えられず、調べも不十分なうちに、幕閣(ばっかく)から『浅野は田村右京大夫の屋敷にお預けのうえ切腹』との判決が出たのは納得できない。再尋問させてほしかった」と語っていることから、さして調べもせぬうちに幕府が処分を決定したらしい。
午後三時ごろ、浅野は罪人として駕籠(かご)に放り込まれ、平川門(不浄門)から江戸城を出て一時間後に田村邸に着くと、急造した座敷牢に閉じこめられ、幕命により午後七時に庭先で切腹して果てた。
浅野は五万石の大名。それがろくに訳も聞かず即日に腹を切らせるのはむごい仕打ち。なぜこんなにも急いで殺す必要があったのか。それは、将軍綱吉の意向だとされる。大切な儀式を台なしにされ、激情にかられての即断だったらしい。いずれにせよ、これにより、なぜ浅野が吉良に斬りつけたかが、永遠にわからなくなってしまった。
(~中略)
ただ、わからないからこそ、面白いと感じるのだろう。作家や好事家(こうずか)によってさまざまな説がとなえられてきた。いくつか紹介しよう。
作家の尾崎士郎氏は、国元でよい塩をつくりたいと思った吉良が、浅野に製塩技術を伝授してほしいと頼んだところ、秘法であると断られてしまった。そこで吉良は赤穂にスパイを送り込んで秘法を盗み出し、以後、良質な塩を生産し、赤穂の塩と競合するようになった。これを憎んで浅野は殺意を抱いたという。もちろんこれを裏付ける史料は存在しない。それに赤穂藩では当時、全国の十パーセント近くの塩を生産しており、その十分の一程度しか生産できない吉良家が赤穂藩から競争相手と認識されるとは思えない。そもそも製塩技術が門外不出というのはウソで、他藩との技術交換がおこなわれていたことも判明している。
精神科医の中島静雄氏は、浅野の刃傷沙汰は精神的な病によるものだと主張している。事件後、浅野は田村家にお預けとなったが、切腹するまでの数時間の様子が『浅野内匠頭御預一件』として記録されている。それによると田村邸に着いた長矩は、出された湯漬けを平然と二杯食べ、酒や煙草を所望している。初めて人を斬って間もないのに、旺盛な食欲を示すのは通常では考えられないこと。それに江戸城で傷害事件を起こせば、処刑されることはわかっていたはず。とても尋常な行動とは思えず、浅野が統合失調症だった可能性を指摘している。
(~中略)
ただ、いずれにせよ浅野が吉良に襲いかかった本当の理由が分かる日は来ないだろう。史実は永遠に闇の中である。

 

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