コラム

【新連載】禁断の江戸史

江戸の「常識」と思われていた時代観念を破壊するような知られざる史実や事件を歴史研究家・河合敦先生が紹介します。

教科書に載らない江戸の事件簿①

越中富山の薬売りはじつは昆布の密売人だった?

「越中富山」と聞けば「薬売り」というフレーズ以外、私の頭には浮かんでこない。子どもの頃から薬売りが自宅に置き薬の交換にやってくるのが待ち遠しかった。お土産として珍しい紙風船をもらえるからだ。ただ驚くのは、富山の薬売りは江戸時代から存在し、すでに客に土産物を配るという風習も存在していたことである。
(~中略)
 薬売りは「懸か け場ば 帳」と称する帳面を持っているが、「懸場」というのは業界用語で顧客のことをさす。つまり懸場帳は売り上げ台帳のことで、帳面には顧客の氏名・住所、預けてある薬の種類や数、売掛金額、薬の入れ替え時期、顧客の親類・知人、付近の地理などが事細かに記されている。
 懸場帳を所持する薬売りを帳主というが、懸場帳は売薬をおこなう権利(株)でもあり、売買や担保の対象となった。帳主は一人で顧客を回りきれないことが多く、そういったときは代金回収と配薬を手伝ってくれる若い衆を雇う。彼らを連つ れ人に ん・助人と呼んだ。場合によっては十数人の連人や助人を伴って富山を出立する帳主もいる。
 富山藩では、薬売りが急増して藩の税収を潤すようになると、帳主たちに「向寄(むより)」という株仲間(同業者組合)を組織させ、販売地域や方面ごとに二十組程度にまとめて管轄するようになった。
 また、明和二年(一七六五)に「薬種改座」を設置して薬の製造も管理した。さらに文化十三年(一八一六)には薬売りを統括する「反魂丹(はんごんたん)役所」を設置する。この役所では薬売りを統制したり税を徴収するだけでなく、彼らに金銭を貸与したりトラブルの解決にあたったりと、保護する機能も果たした。また、薬袋に用いる紙の優先的配分や薬を運ぶ運搬船に藩船を提供するなど、売薬業はまさに藩ぐるみの商売に発展していったのである。
 向寄は、旅先でのトラブルを避けるため独自の掟おきてを定めた。これを「示談」と呼ぶ。「連人・助人に他国人を雇わない。旅先で医療行為をしてはならぬ。人に対しては丁寧に応対すること。宿では実名を名乗り、派手な行動は慎(つつし)む。定宿は変えてはならぬ。薬代の割引は三割が限度。旅先ではその藩の法は っと 度を遵守(じゅんしゅ)せよ」などこと細かな規定がつくられ、違反者には厳しい制裁が課された。なぜなら販売先での揉め事は、薬売りの死活問題になるからだ。「差留(さしとめ)」といって相手の藩から営業禁止処分をくらってしまう可能性があるのだ。
 そもそも諸藩にとって、富山の薬売りが領内に入り込んでくるのは好ましいことではない。というのは、領民に大量の薬を売りつけ、その売上代金を藩外へ持ち出してしまうからである。藩を一つの国家にたとえるなら、国内から正貨が流出するようなものだ。しかも領民が富山の薬売りに依存することで、藩内の売薬業の発展は阻害される。しかもケチで有名な富山の薬売りが藩内で散財して金を落とすことは少ないし、彼らが藩に
上納金を払ってくれるわけでもない。それに領内の極秘情報が薬売りによって外部に漏れてしまう恐れがある。
 このため諸藩では、富山の薬売りが問題を起こすと、すぐに人数を制限したり、販売できる薬の種類を減らしたりした。そしてときには、差留処分を申し渡したのである。
 そうなったとき富山の薬売りたちは、向寄や組単位で、猛然と差留解除運動を展開した。各藩には、差留を解除するよう働きかけてくれる仲介人が存在したが、彼らに莫大な金銭を渡し、制裁した藩への献金・献物、さらには薬代の値引きを約束した。
 富山藩においても薬売りは大切な税源なので、差留をした藩に対して解除を直接依願した。こうしてあらゆるツテをたどって行商が再開できるよう、富山藩では役人と商人が一体になって、涙ぐましい運動をおこなうのである。
 とくに頻繁に差留をおこなったのが薩摩藩だった。富山の薬売りの薩摩組の中心になっていたのは能登屋(密田林蔵家)であったが、同家に残る古記録には、差留を解除してもらうにあたり、仲介者や薩摩藩に対し一年の売り上げを上回る献金、熊胆(くまぎも)、晒(さらし)などの献上の記録が残っている。
 興味深いのは、差留解除の条件として薩摩藩へ蝦夷(えぞ)地(北海道)の昆布を輸送したことであろう。薩摩藩は昆布が喉から手が出るくらい欲しかった。財政難だったので、薩摩藩は支配下にある琉球を通じて昆布を大量に清国(中国)へ密輸して大もうけしていたからだ。ただ、昆布は寒冷な蝦夷地でしか採れない。それを本州へ輸送したのは北前船であった。大坂から瀬戸内海を通って下関海峡から日本海へ抜け、蝦夷地を往復する交易船の総称だ。薩摩は北前船ルート(西廻り航路)から外れていたので、昆布の入手は難しかったのだ。そこで北前船を所持する薬売りの能登屋に、差留解除の代償として昆布の輸送を命じたのである。このように富山の薬売りは江戸時代、薩摩藩の密輸の片棒を担いでいたのである。

 

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