コラム

お江戸をもっと楽しもう!ほ ーりーが行く!暖簾(のれん)越しお江戸の風景

暖簾越し お江戸の風景

歴史に詳しい「お江戸ル」として活躍中の「ほーりー」こと堀口茉純さんが、江戸から続く凮月堂の時代にタイムスリップ。当時の世の中はどのようなことが起きていたのでしょうか?

第六回 時代は江戸から明治へ

歴史の大転換期は受難の時代

いまから150年前、1868年に徳川幕府が支配する江戸時代が終わり、日本は明治新政府が主導する新たな時代に突入しました。いわゆる明治維新です。この歴史の大転換期は凮月堂にとって受難の時代でした。凮月堂は大名や老中といった幕府の重役から注文を受け、お茶席などで使う高価なお菓子を治めていた御用菓子商。しかし、幕末の混乱の中でお茶席の機会は激減。参勤交代も行われなくなり、凮月堂の顧客であった大名たちが国元に戻ってしまいます。
凮月堂の暖簾(のれん)を代々受け継ぐ大住家の過去帳によると、明治元年に3代目が、明治5年に4代目が相次いで亡くなっており、この時代を商人として生きることがいかに厳しかったかを物語っています。4代目の弟が30歳の若さで5代目になると、凮月堂は宮内庁の御用品調進の依頼を受けました。普通なら喜んで引き受けるところですが……なんと5代目はこれを辞退しました。新時代になっても先祖から受けついだ徳川への恩顧の思い、また、江戸時代からすでに京都御所の御用達として仕えていた虎屋の黒川氏への配慮から導き出した苦渋の決断なのでしょう。律義だなぁ。

洋菓子作りに活路を得た凮月堂

そんな5代目が凮月堂の暖簾を守るために活路を見出したのが洋菓子作り。実は凮月堂、維新前から薩摩藩御用を務めており、戊辰戦争の時には軍用の黒ゴマ入りビスケットを納入するなどして洋菓子作りのノウハウを培っていたのです。大河ドラマ『西郷どん』でおなじみ、西郷隆盛も凮月堂の軍用ビスケットを食べたかもしれませんね。この路線変更が功を奏し、明治10年の内国勧業博覧会にはカステラ、ケーキ、リキュールボンボンを出展して鳳門賞を受賞。「洋菓子の凮月堂」の名声が全国に轟とどろきました。江戸から明治へ。時代のニーズを的確にとらえ、しなやかに順応した凮月堂。老舗の矜持(きょうじ)と底力に脱帽です!

●本文・イラスト/堀口茉純さん
2008年に江戸文化歴史検定一級を最年少で取得すると、「江戸に詳しすぎるタレント=お江戸ル(お江戸のアイドル)」として注目を集め、執筆やイベント、公演活動などで江戸⇔東京の魅力を発信し続けている。
『吉原はスゴイ~江戸文化を育んだ魅惑の遊郭』(PHP新書)など著書多数。
女優として舞台やドラマに多数出演。NHKラジオ第一『DJ日本史』などにレギュラー出演中。

上野凮月堂のはじまり
上野凮月堂の歴史は、初代の大住喜右衛門が大阪から江戸に下った1747年に始まりました。「江戸でも上方にあるような美味しいお菓子を作りたい」という志を持った喜右衛門は、京橋に「大坂屋」を開店。その誠実な仕事ぶりは江戸でも評判をよぶようになります。やがて水野忠光の側室として上がっていた喜右衛門の養女、恂が、後に老中となる忠邦を出産。当時の慣習に従って宿下りとなった恂は二代目大住喜右衛門を婿に迎え、夫婦で大坂屋を盛り立てていきます。「大坂屋」の菓子は大名達の間でも評判をよぶようになり、松平定信公の知るところになりました。そして「汝が心事の清白なるを愛する。これをもって屋号とせよ」と定信公から「風月堂清白」の五文字を賜ります。この報せに喜んだ水野忠邦は当時の名書家、市河米庵に「凮月堂」と巨大な白布に揮毫(きごう)させ、これをもって店頭に掲げよと暖簾(のれん)を賜ります。この日から「大坂屋」は「凮月堂」となったのです。

 

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