コラム

お江戸をもっと楽しもう!ほ ーりーが行く!暖簾(のれん)越しお江戸の風景

暖簾越し お江戸の風景

歴史に詳しい「お江戸ル」として活躍中の「ほーりー」こと堀口茉純さんが、江戸から続く凮月堂の時代にタイムスリップ。当時の世の中はどのようなことが起きていたのでしょうか?

第一回 時代の最先端をいく、上野

 上野凮月堂が現在の場所に店を出したのは明治43年の事。土地の購入資金は1万円(※)(現在でいうとおよそ10億円以上!)だったといいます。かなり思い切った投資ですよね。凮月堂はいったい何故、上野に進出したのでしょうか?
 上野界隈の発展は江戸時代初期、幕府が上野の山内に寛永寺を造ったことに始まります。江戸城の丑寅(北東)の方角にあたるために鬼門守護の性格を持ち、後に徳川将軍家の菩提寺となると江戸の寺社の中でも別格の存在感を示すようになりました。
 元々桜の名所だったこともあり庶民の行楽地としても大人気に。山下に火事の時の火除地となる広場=広小路が作られると、沿道に沢山の商店が立ち並び繁華街として成長していったのです。

※明治時代のお金の価値/あんぱん1個が1銭(明治38年ごろ)、公務員の初任給が50円(明治27年ごろ) 『値段の風俗史 明治・大正・昭和』(朝日新聞社)を参考

土方歳三、上野で丁稚奉公

 現在もこの広小路に面して店を構える松坂屋は、江戸時代中期に名古屋から進出した呉服の大店でした。尾張徳川家、加賀前田家といった名だたる大名家の御用を務め、寛永寺で用いる法衣を独占販売するなど手堅い商売で信頼されていました。
 ちなみに新撰組の副長・土方歳三も少年時代に松坂屋で丁稚奉公をしていたといわれているんですよ!上野界隈を土方が歩く姿を想像すると、なんだかワクワクしますね。また、歌川広重の『名所江戸百景』の版元もこの辺りにあり、文化の発信地としても重要な場所でした。
 幕末に上野戦争で一時荒廃するも、明治に入って上野公園が整備され、その広大な敷地を使って様々な博覧会が開催されると再び脚光を浴びます。
 さらに明治17年には上野駅が開業して人口が倍以上に増え、町の雰囲気は一層活気にあふれてゆきました。
 江戸時代初期からの長い歴史と豊かな文化をはぐくみつつ、明治維新後は時代の最先端をいっていたのが上野だったのです。老舗でありながら洋菓子作りのパイオニアとして好評を博していた凮月堂とは、相性抜群の土地柄だったんですね。

●本文・イラスト/堀口茉純さん
2008年に江戸文化歴史検定一級を最年少で取得すると、「江戸に詳しすぎるタレント=お江戸ル(お江戸のアイドル)」として注目を集め、執筆やイベント、公演活動などで江戸⇔東京の魅力を発信し続けている。
『吉原はスゴイ~江戸文化を育んだ魅惑の遊郭』(PHP新書)など著書多数。女優として舞台やドラマに多数出演。
NHKラジオ第一『DJ日本史』などにレギュラー出演中。


上野凮月堂の看板商品としてご愛顧いただいているゴーフルは、1929年(昭和4年)
に凮月堂で誕生したお菓子です。凮月堂一門の職人が試行錯誤を繰り返した末、薄焼きのウエハースに洋風のクリームを挟んだゴーフルが完成。その上品な甘さから、当時の最高級のお菓子として好評を博しました。均一で美しい焼き色に保つ「はさみ焼き」の技術を受け継ぎながら、少しずつ改良を重ね、上野凮月堂の歴史とともに進化してきた銘菓です。
※商品は全国の直営店、全国有名百貨店、全国駅ビル名店街などで取扱中。
 
1747年江戸生まれ。創業家が継ぐ、ただひとつの凮月堂。
上野凮月堂は、創業者大住喜右衛門の志と技を受け継ぎ、どんな時代にも、おいしいお菓子に出会うよろこびをお届けできるよう努めてまいりました。今後も「変化を愉しみ、文化を創る」を理念として、新しい価値を生み出しつづける企業を目指してまいります。

 

関連記事

  1. 芝田千絵のアートライフ Vol.5
  2. 長野県安曇野市 四季に彩られて心を充たす旅 長野県安曇野(あづみの)市
  3. 「幸せな 人生」に必要な たった1つの言葉(メ ッセージ)⑤
  4. 楽しく百歳、元気のコツ 楽しく百歳、元気のコツ②
  5. 心を充たす旅 新潟県新潟市 四季に彩られて心を充たす旅 新潟県新潟市
  6. あたらしい草花あそび あたらしい草花あそび
  7. 精神科医が教える老後の人生スッキリ整理術①
  8. 楽しく百歳、元気のコツ 【最終回】楽しく百歳、元気のコツ⑥
ゴールデンライフ送付希望の方
ゴールデンライフの配布場所
読者プレゼント応募方法
脳活ドリル応募申込
都内の名処
脳トレダンス動画
ゴールデンライフ広告掲載

ピックアップ記事

  1. 暖簾越し お江戸の風景
PAGE TOP