輝く人112 LiLiCoさん

インタビュー

「未来の私のために」というテーマで生きています
明るく開放的なキャラクターが人気のLiLiCoさん。
来日して31年、スウェーデン人と日本人の考え方の違いや、運を引き寄せ、人とつながる時間術について伺います。

20年がんばったら神様からごほうびがくる

いつも陽気で笑いの絶えないLiLiCoさん。昔から明るい性格だったのですか?

 意外かもしれませんが、内気で静かな女の子でした。9歳離れた弟がいて病弱だったのですが、弟は、当時別居中だった両親に代わり、12歳だった私を頼りにしていました。母は働いていましたからね。弟はよく病院に運ばれていたので、救急車のサイレンが聞こえるだけでお腹が痛くなるほど神経質になっていたことを思い出します。12歳にして弟の世話に疲れていました。でも責任感と正義感だけはけっこう強くて、そこは子どもの頃から変わっていないですね。

アイドルを夢見てスウェーデンから日本へ。下積み時代が長かったと聞きました。

 芸能界の仕事が軌道に乗るまでに、22年もかかってしまいました。でも、一度もあきらめようとは思わなかった。くる日もくる日も何をしたら売れるのかを考え、日本語を勉強し、やりたい番組のプロデューサーに電話して。でも、20年がんばると神様からごほうびがくるんですね。いまの私にたどり着くことができました。いまは「未来の私のために」というテーマで生きています。たとえば早く連載原稿を書き上げたときは、明日の夜に観ようと予定していた映画を今日観ちゃう。そうすると翌日の時間が空きますよね?そんなとき友達から「いま会えない?」と連絡がきて行ってみると、ずっと会いたかったプロデューサーがいて、やりたかった仕事につながったり。

運も実力のうちと言いますが、まさにそれですね。

 時間の使い方がとても大切だと思います。こうしてがんばってこれたのは結局、両親にハグされたかっただけなのかも。亡くなった母とは最後の最後まで仲良くできなかった。本当は私は、母に認めてほしかったんですよね。父とは何年も会わなかったけれど、いまはいつもほめてくれる。だから、ちょっと無理してでも地球の反対側まで会いにいきます(笑)。

「おもてなし」より「思いやり」

日本に住んで31年。日本人の印象は変わりましたか?

 最初は葛飾にいたので、人情味あふれる人が多かった。ところがいまは、思いやりが減ったなぁと思います。目の不自由な人に肩や腕を貸す人や、次の人のためにドアを開ける人を見掛けなくなった。来年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて「おもてなし」と言うけれど、思いやりがないのに「おもてなし」ばかり強調するのはおかしいと思います。家族との関係も同じで、生きるセンスがあれば、最期までまわりも気持ち良くいられると思うんです。スウェーデンにいる父とパートナーのブリッドは共に76歳なんですが、この間の夜、私の誕生日に「パーティしてます!」とテレビ電話をしたら、向こうは朝の10時にもかかわらずガウンを着てシャンパングラスを持って一緒に乾杯してくれて。そういう気遣いのできる76歳って粋だな~! と。もちろんうまくいかない日もありますよ。私だってこの先、病気をすることもあるでしょう。もし余命一年と宣告されたら、姪、甥にちょっとは残すつもりですが、貯金は全部使い果たしますね。おいしいものを食べて好きなことをして、自分のためにも使いますが、それだけではなくて、アフリカの子どもたちの面倒を見ているので、残りは学校を建てる資金として贈りたいと考えています。

読者にメッセージをお願いします。

 年齢に関係なく、一日一日を、自分の時間を大切にしてほしいです。たとえば、定年退職=仕事を辞めたと思われがちですが、シニアの場合、自分のために時間を使うことも仕事のひとつだと思うんです。散歩で出会った人とお話をするとか、手先が器用なら何かを作るとか、本を読むとか、テレビを見るとか。そういう時間を大切にしつつ、これまでの経験から得たものを若い世代に伝えていくことも仕事だと思うんです。無償だけれど、その先には誰かとつながる幸せが、きっとあるはずです。

LiLiCo (りりこ)
1970年生まれ、スウェーデン・ストックホルム出身。スウェーデン人の父、日本人の母を持つハーフ。1988年、18歳で来日し、1989年に演歌歌手としてデビュー。2001年、30歳で『王様のブランチ』にて映画コメンテーターレギュラーになる。ほかにも司会、ナレーター、声優、プロレスラー、エッセイ執筆など幅広く活躍している。2017年、小田井涼平さん(純烈)と入籍、翌年発表。

 

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