コラム

命涯(かぎ)りあり知は涯りなし⑮

命涯りあり知は涯りなし

人にはそれぞれの生き方があり、人生にはドラマがある。私もいつの間にか86歳になった。
ふと、あと何年生きられるかと思うことがある。必死に生きてきた私の半生を書いてみたい。

⑮いつの時代でも「子育ては親育て」

 敗戦後、台湾引き揚げから間もなく両親を亡くした私は、昼間は薬局で働きながら高校の夜学を卒業した。そして昭和32年4月、一般社団法人倫理研究所へ入所後、同じ職場で勤務していた妻と結婚。男ばかり6人の子を育てながら、倫理活動の普及に奔走(ほんそう)した。

これがわが子か

 平成4年8月15日の夕方、突然、茨城県つくば市の病院から「お宅の四男の順一さんが事故で病院に運ばれてきたので、すぐに来てほしい」という電話がかかってきた。それまで正直、つくば市がどこにあるかも知らなかったが、取るものも取らず東名高速道路をひたすら走った。何の事故か、どの程度のものか……と案じながら夜、病院に到着した。四男が横たわる部屋に案内されたが、入り口のドアの「面会謝絶」のかけ札が、やけに大きく見えた。
 ベッドには透明人間のように白い包帯が顔中に巻かれ、目と口の部分が少し開いていたが、そこから唇がとびだし、これがわが子だと確認するまでに時間がかかった。
 レーサー仲間が数人きていた。彼らの話によると、炎天下の筑波サーキットで行われた「6時間耐久レース」での事故だという。全国で年間10カ所ほどのレースを転戦してグランプリを決めるらしく、彼もよく仲間と出掛けていた。
 彼は幾度かのレースで優勝して大きなトロフィーを抱えて雑誌のグラビアに載ったことがある。女性ドライバーだった当日は、10人ほどの仲間が協力して途中でタイヤ交換や給油などをして、6時間完走でなんとか入賞しようと秒読みの勝負をしていた。
 数時間が経過して車に給油する際、彼がホースの先端を肩にかけてスタンバイしていたとき、どういうわけかキャップがポロッと抜け落ちてガソリンが大量に流れ出た。そこへエンジンが過熱した車が入ってきたので、一瞬で引火し車ごと火の海になったという。
 一晩に点滴を一斗缶1杯(18L)続けてようやく体内の血液が流れ始めたが、手足の指先までパンクしそうに膨れ上がっていた。医師は「今夜が峠ですよ」と言った。意識はあったが、自分の足がどこにあるのか、氷でどこを冷やしているのか、まったくわからない様子だった。

心配や悲しみが大きいほど

 彼はやがて、霞ヶ浦のT大学付属病院に転送され、何度かの手術が始まった。残った皮膚を切り取り機械でメッシュ(網の目)のように広げて、焼け残った皮膚の上に建築工事で使うようなホッチキスでパンパンと留めていく。その数650あまり。最もつらかったのが週に1度、全身を消毒液に浸けるときだった。激痛のあまりなかには気が狂う人もいるという。それをやらないと手術の部分に「青カビ」が発生して生き残れないという。私も若いころ脊椎の手術を経験しているので、その苦痛がいかほどのものか想像に難くなかった。
 幸い立派な医療施設と、良い先生に恵まれて手術は大成功だった。「学会で発表したい」と病院ではたくさんの写真を撮られた。
手術をして3カ月後、突然、入院中の四男から母親に電話がかかってきた。びっくりした妻は「順ちゃん、どこから電話しているの?」と聞いた。彼は「どんなことがあっても、親に心配をかけたままで死ねない。それにもう1度自分の手足で車に乗りたい」と一大決心をしたら、急に力が湧いてきてベッドの上に立てたという。
 あの大きな事故から2年後、彼はたくさんの人の祝福を受けて結婚した。
 披露宴の最後に彼は、出席者にお礼の言葉を述べた。その折、救急車で運ばれた際の出来事を語ってくれた。
 担当の医師が耳もとで、大きな声で「木村!聞こえるか。何か言いたいことがあれば、必ず伝えておくから」と言われたので、自分でも「もう最後か」と思い包帯の手先で「何か書くものを」と合図したら、便箋とボールペンを出してくれたという。
「そのときに書いたメモがこれです」と、ヨレヨレの字が弓なりに描かれた便箋を彼は読み上げた。『おとうさん、おかあさん、心配ばかりおかけしてすみませんでした。もう一度、おとうさんとおかあさんの子どもにしてください。順一』
 何としてもこれだけは親に伝えたい一心で、かすかな意識のなかで必死で書いたのだろう。出席者一同、感動し、親も兄弟も祖母も、皆泣いた。とても感動的な披露宴だった。
 あれから26年。事故当時は「命があっても植物人間か、一生、車椅子ですよ」と言われ、親の命を縮ませるような大事故に遭遇した子が、いまではおかげさまで2人の子に恵まれ、レースからは離れたものの大好きな車関係で保険の仕事をして元気に働いている。
 心配や悲しみが大きければ大きいほど、喜びも幸せも大きいことを、子どもたちから学んだ。さらに本人の希望と決意、家族や周囲の献身的なサポート、たくさんの人々の善意にも助けられ支えられて、私たちは生きていることを教えられた。

木村重男さん木村重男(きむらしげお)
1933(昭和8)年生まれ85歳
一般社団法人倫理研究所 参与。
文部科学大臣から社会教育功労賞を受賞。著書に『夫婦の玉手箱』『豊かな人生を拓く玉手箱』など多数

 

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