インタビュー

輝く人109 風見しんごさん

風見しんごさん

若いころより、動ける体に感謝できるようになった
欽ちゃんファミリーの一員、そしてアイドル歌手として一世を風靡(ふうび) 。芸能生活37年を経て、いまもなお第一線で活躍し続ける風見しんごさん。
デビューのきっかけや得意のダンス、そして交通安全への思いを伺いました。

「こんにちは」のひと言でまさかの芸能界入り

どんなお子さまでしたか?

 那須正幹氏の有名な児童文学『ズッコケ三人組』シリーズを知っていますか?例えていうなら、そこに出てくる主人公の一人「ハチベエ」にそっくり!いつもさるみたいにチョロチョロしていて声も大きく、クラスでは目立つ存在。いわゆる昭和の「わんぱく小僧」そのものでした。でも、野山を駆け回ってのびのび遊んでいたのは低学年まで。高学年になると、スパルタ教育のブームにのって、僕も中学受験戦争を戦うことになりました。当時は、成績が悪いと塾の先生にビンタされるような時代。そんななか、一喜一憂しながらがんばって、第一志望合格を勝ち取ったのはいい思い出です。ただし、勉強に関してはこの時期がピークで、中学に入ってからは、崖を転がり落ちるように何もしなくなりました。

子どものころから芸能界に憧れはあったのですか?

 まったくありません。高校時代、映画が好きでよく観に行きましたが、まさか自分がその世界に進むとは夢にも思っていませんでした。きっかけは、大学進学で上京し、原宿のホコ天で哀川翔さんと出会って、一緒に路上パフォーマンスをやるようになったことです。ほとんどが後の一世風靡(いっせいふうび)セピアのメンバーですから、素人集団の中ではかなり目立つ存在でした。ちなみに僕は、バク転、バク宙担当。田舎育ちで培った技を披露して、観客を沸(わ)かせていました。そうして、だんだんとマスコミの注目を集めるようになり、あるとき、テレビ局から新番組のオーディションの誘いを受けたのです。

それが萩本欽一さんとの出会いにつながるのですね。

 実際にそのオーディションを受けたのは野々村真くんで、僕はあくまで付き添いにすぎませんでした。ところがスタジオで、「こんにちは!」と元気よく挨拶をすると、それを聞いた萩本さんから「いいねぇ君、合格!」と言われ、あっさりメンバー入りが決まってしまったんです。ところが、いざ稽古場に入ってみるとダメ出しのオンパレード。
 まず、お茶の入れ方を見て「最悪」と言われ、さらに「こんにちは」の言い方が気に入らないと言って、何度も何度も言いなおしをさせられました。ひどいときは、赤坂の駅の出口からやり直し、1時間半以上「こんにちは」を繰り返したこともあります。後になってわかったのですが、あれは「こんにちは」の言い方が悪かったのではなく、理不尽なダメ出しに僕がいつくじけるかを試していたそうです。ここでそうした経験をしておけば、将来どんな厳しい現場に行っても耐えられるだろうという、萩本さんの愛のムチだったんですね。

イメージを守ることが芸能人としての大切な使命

キレのあるダンスは、いまだ健在ですね。

 子どものころに僕のブレイクダンスを見ていた世代はいま40代。最近は、テレビ局のディレクターやプロデューサーの方から「ダンスをまねしていました」とよく声を掛けられます。また、僕を見てダンスを始め、第一線で活躍するパフォーマーになった方もいて、「ぜひ一緒に踊りましょう」と誘ってくれるんですよ。そんな風に僕のダンスを大切に思ってくれるファンのためにも、イメージを守ることが僕の芸能人としての大切な使命。そう思って、運動や食事に気を付けて体づくりをしています。ただし、若いころと違うのは、動ける体に感謝できるようになったこと。昔は、走れて当然、踊れて当然で、できないことがあると自分を戒いましめ、できてもほめることなんて一切しませんでした。でもいまは、走った後、踊った後は必ず、自分の体に「ありがとう」「お疲れさま」「よく動けたね」と声を掛けています。ほめておだてれば、体はその思いに必ず応えてくれると、ひそかに期待しているんです。

交通安全に関するイベントに積極的に参加しているそうですが、最近の相次ぐ高齢者の交通事故についてどう思われますか?

 僕の父は65歳でアルツハイマー型認知症を発症しました。最初に異変に気付いたのは父の友人で、父が運転する車に同乗していたときです。高速道路を運転中、父が突然ブレーキを踏んで止まってしまったので、「どうしたんだ?」と声を掛けると、前の車のテールランプを見たのか「赤信号だ」と言ったそうです。認知症といっても、初期の段階では症状が出なければ健常者と何ら変わりはありません。とはいえ記憶が欠けるわずかな瞬間に車のハンドルを握っていたら、このような危険なことが普通に起こってしまうんです。だから、僕は父が二度と運転できないよう、強引に車のカギを取り上げ、隠してしまいました。大げんかの末の暴挙で、父には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。でもその後、娘の交通事故に直面したときに、「もし、うちの父が加害者になっていたら?」と想像して、自分がしたことは間違っていなかったと確信しました。父の経験でわかったのは、元気なことと安全運転ができることは、まったく別問題だということです。家族として、免許返納は言い出しづらいですが、気になることがあれば、何かアクションを起こすべき。残りの人生を幸せに生きるための保険と考えて、あえて憎まれ役を買って出る覚悟も、ときと場合によっては必要なのではないでしょうか。

風見しんご (かざみしんご)
1962年10月10日生まれ。広島県出身。1982年、TBS『欽ちゃんの週刊欽曜日』で芸能界デビューし、翌年には『僕 笑っちゃいます』で歌手デビュー。4枚目のシングル『涙のtake a chance』(85年)では、日本で初めてブレイクダンスを披露し話題となった。その後、バラエティをはじめ、映画やドラマ、舞台などさまざまな分野で活躍。交通事故で亡くしたえみるさんへの思いを綴った手記『さくらのとんねる~二十歳のえみる』も出版している。

 

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