輝く人100 水前寺清子さん

インタビュー

私って、とにかく時の流れに身をまかせる「自由人」
芸能生活50年余り。変わらぬ着流し姿と水前寺節で、多くのファンに愛され続けている歌手・水前寺清子さん。本誌2年ぶりとなる2度目の登場で、近況について伺います。

トレードマークの着流しが私を変身させてくれる

いつも元気な水前寺さん。その秘訣を教えてください。

 よく聞かれますけど、自分ではまったくわからないんですよ。言えることは、ステージに立つと人が変わってしまうということ。実は私、数年前に脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)になり、普段は腰を気にしてしまうことがあるんです。プライベートではただのおばあちゃん。でも、ひとたびステージに上がると、不思議と背筋がシャンと伸びてキビキビ動けるんですよね。ドレスなどのステージ衣装でも気持ちは上がりますが、チータのトレードマーク「着流し」スタイルのときは別格。着流しが変身道具なのかと思うくらい。不思議でしょう?

ハードなステージのために気を付けていることはありますか?

 それもね、自慢できるようなことは何もやってないんですよ。世間では健康長寿のためにウオーキングとか筋トレとか流行っているみたいですが、私はそういうのが苦手。というのも昔から運動オンチでね。このとおり、ひどい内股なんで。走るとすぐに足がからまっちゃう。この夏はプロ野球の始球式に参加させてもらいましたが、「ちゃんとボールが前に飛んだ!」って喜ぶレベルですから。食事もいい加減。栄養バランスや素材にこだわるとか一切なし。とにかく手軽にサッと食べられるものが好き。仕事で用意していただくお弁当は特に楽しみです。

リラックス法はありますか?


サスペンスドラマを観ることかな。仕事人としてではなく、一視聴者としてハラハラドキドキしながら観ているとリラックスしますね。それと押し花や編み物などの手芸をしているとき。これって元気なチータのイメージではないでしょう?でも、手先を使った細かな仕事は案外得意で、休みの日は時間が経つのも忘れて没頭しています。無心になれる時間があると、心身がとてもリフレッシュしますね。

「自由」で培った55周年を東京オリンピックとともに

何事も型にはまらないというのが「水前寺流」でしょうか。

 そうですね。私って、とにかく「自由人」なんですよ。だから時の流れに身をまかせて、好きなことを好きなようにやっていたい。だって、自由ならストレスもたまらなくていいでしょう?これまでを振り返っても、本当に自由にやらせてもらったなって思うんです。たとえばドラマ『ありがとう』のときは、歌の仕事に追われる傍ら、ステージとステージの合間を縫って撮影に参加していましたが、そんな自由も石井ふく子先生は温かく見守ってくれました。いい先生、先輩方に囲まれて自由に育つ環境があったからこそ、いまの私がある。日々本当に感謝しています。私はデビューが1964年の東京オリンピックの年で、なんと55周年もまた2020年の東京オリンピックの年なんです。人生で間近にオリンピックを経験できるだけでも貴重なのに、それが芸能生活区切りの年と重なるなんてラッキー!本当にうれしくて感無量です。55周年は、私をずっと支え、応援してくださっているファンの方々と、ぜひこの感動を分かち合いたいと思います。

読者にメッセージをお願いします。

 まず、年齢なんて考えずに好きなことをする、それが一番じゃないですか。古き良きものを大事にしたいと思うのも、新しきものに挑戦しようと思うのも、その人の自由。好きなことをして、元気に楽しく年をとっていきましょうよ。あとは、たまには若者に喝を入れるのも、私たちシニア世代の仕事かな、と思います。最近はハラスメントという言葉にすごく敏感で難しい世の中になりましたが、悪いものは悪いと戒める。それも私たち年長者ができる愛情表現のひとつじゃないかな、と思うんです。

水前寺 清子 (すいぜんじ きよこ)
1945年熊本県熊本市出身。15歳のとき「コロンビア全国歌謡コンクール」での準優勝をきっかけに、1964年「涙を抱いた渡り鳥」で歌手デビュー。
「いっぽんどっこの唄」1967年「三百六十五歩のマーチ」1969年など100万枚を売り上げるヒット曲を連発し、NHK紅白歌合戦には22回連続出場する常連。
女優としてはドラマ「ありがとう」(TBS)のほか数々の作品に出演。さらに音楽番組やワイドショーの司会業も務めるなど、幅広く活躍している。

 

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