コラム

命涯(かぎ)りあり知は涯りなし④

命涯りあり知は涯りなし

人にはそれぞれの生き方があり、人生にはドラマがある。私もいつの間にか85歳になった。
ふと、あと何年生きられるかと思うことがある。必死に生きてきた私の半生を書いてみたい。

④ 夜学で高校を卒業

入学を導いた恩師との出会い

 敗戦後、台湾から引き揚げてきた私たち一家は、間もなく父がアルコールで廃人のようになり他界。家族を養うために中学卒業後すぐに漁船の飯炊きになった私は、船の事故に巻き込まれて大手術を受けた。しかし一命を取りとめた私を待ち受けていたのは、結核を患わずらった母の死だった。
    *  *  *
 昭和28年2月。高校くらいは出ておこうと思い、幸い受験の手続きに間に合った熊本県立荒尾高校〈定時制〉から合格の通知を手にした。何年ぶりかの学校生活には憧れたものの、4月の入学式に私は「退学届」を提出した。
 担任になる喜多村良一先生に理由を聞かれて、せっかく入学の許可をいただいたが登校する自信がないことを率直に述べた。昨年、船で大けがをして脊椎の手術を受け、退院はしたものの腰のギプスを外してから4カ月しか経っておらず、歩くのもおぼつかないので――と。喜多村先生は「あんたも大変な思いをしたようだが、せっかくのチャンスなので、明日もう1日登校しなさい。そうしたらやめてもいいよ」と言われた。私は仕方なく翌日、約束どおり登校すると、先生は大変喜んで「よく来たね。もう1日登校すればやめさせるから……」と言われた。翌日から先生は校門まで迎えに来てくれ励ましてくれた。
 そんなことが1週間ほど続いて、私は「この分なら登校できるかもしれない。だめならそのときにやめればいい」と肝が据わった。
 人間は、人との出会いで運命が変わる。特にいい先生との出会いは、その人に大きな幸福をもたらしてくれることを、私はあとで理解した。

輸血希望者として手を挙げる

 入学式を終え、生徒総会のさなかに緊急事態が起きた。隣の組の新入生が事故で入院したので、若い人の血液が必要だというのだ。その場で10名の輸血希望者があり私も手を挙げていた。そのうち適応者は5名で、どういうわけか私がトップバッターに指名された。
 翌日、指定された病院に出向き診療室に通されると、院長が私の顔を見るなり「あんたからの採血はできません」と言われた。そのつもりで来たのでお願いすると、院長は困惑して学校に連絡して許可を得て、ようやく採血となった。
 看護婦さんが私の両腕をはじめ4カ所から採血したが、結局60㏄の薄い血と泡ばかりで、看護婦さんが「先生この人も危ない」と言うので終了となった。
 ベッドには患者が横たわり、枕元には両親が不安そうな顔で見守っておられた。1回の輸血は100㏄以上必要だったのに、私はその半分しか提供できなくて、親御さんにも申し訳なくて身の置き場がなかった。
 ただその少ない血液が患者の腕に注がれたとき、土色していた病人の顔に一瞬、ポッと赤味がさしたことを覚えている。
 私はご両親にひたすら謝った。「残念ながら結果はご覧のとおりですが、実は私は9カ月前に九州大学付属病院で脊椎の手術をしたので、血の1滴が人間にとってどんなに大切かを誰よりも知っているので、この際申し出ました」と言って、ズボンを下ろして手のひらがそっくり入るような黒ずんだ傷跡と9針縫った脊椎の手術跡を見てもらい許しを請うことにし、私の真情を述べた。
 その後1カ月ほど毎日、一面識もなかったS君の見舞いに行ったが「人間は血液がそこそこあれば生きられるんだ」と妙に納得した。間学校に入り柔道部に入部した。柔道着を買ってもらった嬉しさから、裁縫をしていた姉に「柔道の手ほどきをしてやる」と言って投げられた際、まったくの初心者だったため受け身がとれず、倒れた拍子に裁縫用のはさみの長い刃先が柔道着を貫通した。はさみの刃先はS君の肋骨を2本切り、内臓にまで達した。夜間だったので翌朝病院へ行く予定だったが、内出血多量のため救急車で病院に運ばれたことを後で知った。
 後日、彼は健康になって肉屋の跡取りをして、4年後に私と共に夜学を卒業した。無事に卒業したのは120人中50人で、このことは地元の熊本日日新聞に掲載されて話題になった。

大失態の弁論大会

 私が「ドモり」で悩んでいたとき、ある先輩から「ドモりがなんだ、男なら堂々とドモったらどうだ!」と怒鳴られて納得した。そして目をつけたのが弁論大会への出場だった。
 チャンスはすぐに訪れた。高校1年生の夏に熊本県の高校弁論大会に荒尾高校を代表して出場した。初めての経験で出番がきたときは足が震え、喉の どはカラカラだったが胸を張って演壇(えんだん)に立った。400字の原稿用紙を3枚めくったそのとき、1番前にいたヤジ専門の学生が急に立ち上がり、私を指さして大声で「右から3行目」と叫んだ。その声につられて「3行目はもう終わったのに」と自問したとたん頭の中が真っ白になって、あとはシドロモドロで、とうとう演壇から引きずり降ろされた。「なんたることだ」と赤面したすぐあとで「誰だって最初からうまくできるはずはない」と開き直った。
 それから弁論に情熱の火がついた。仕事で配達中の自転車に乗っていても、誰もいない墓地でも、「諸君!われわれは!」と叫んで弁論の勉強をした。
 2年後、全国青年弁論連盟主催の全九州高校弁論大会に私は熊本県代表として熱弁をふるい、立派な表彰状をいただいた。高校卒業時には、1番不得手だった話すことで弁論の賞状を7枚いただき、青春のいい経験になった。

木村重男さん木村重男(きむらしげお)
1933(昭和8)年生まれ85歳
一般社団法人倫理研究所 参与。
文部科学大臣から社会教育功労賞を受賞。著書に『夫婦の玉手箱』『豊かな人生を拓く玉手箱』など多数

 

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