コラム

命涯(かぎ)りあり知は涯りなし③

命涯りあり知は涯りなし

人にはそれぞれの生き方があり、人生にはドラマがある。私もいつの間にか85歳になった。ふと、あと何年生きられるかと思うことがある。必死に生きてきた私の半生を書いてみたい。

③ 母の限りない愛の深さを知る

船で大けが手術を乗り越え

 戦後、中学を卒業した私は、家族の生活費を稼ぐため、長崎で漁船・満漁丸(まんりょうまる)(木船55トン)に60人前の飯炊きとして上船していた。
 母が「うちもどうにか人並みの生活ができるようになったね」と喜んでいた矢先、私は船で大けがをした。昭和27年の夏、19歳の時だった。海岸から陸地にかけて大きなヤグラを組んで漁網を干していた網干棚が、作業中に突然、将棋倒しになり数人がその下敷きになったのだ。私も巻き込まれ、大けがをした。死ぬかと思うほど苦しくて痛かった。
 すぐに長崎の京泊(きょうどまり)から福岡の九州大学付属病院に搬送された私は、脊椎の手術を受けることになった。「第五腰椎分離症」と診断され、左の骨盤から骨を切り取り、脊椎に接ぐという画期的な大手術だった。しかもこの時、医師からの忠告が2つあった。
①手術が成功しても、手がひざに届くまで体を曲げることはできない。
②結婚しても、肝心な脊椎の損傷のため子どもができない。
――というものだった。まだ成人もしていない私にとってはあまりにも残酷な現実で、「俺の人生はなんだったんだ」ともだえ苦しみ、人生に失望し、ひそかに首を絞めたりもして自暴自棄になった。
 敗戦後、台湾から引き揚げてきた私は、間もなくアルコールで廃人のようになった父に死なれ、16歳で家族のために玄界灘で漁船の飯炊きをしながら、懸命に働いてきた。その代償がこんなことでいいのか、と自問自答しながら、7時間におよぶ手術に耐えた。
 術後は、白壁のような石膏(せっこう)で腰から上をぐるぐる巻きに固定され寝返りも打てず、骨盤と脊せ き椎つ いの傷口にコンクリートを載せたまま強くねじり込まれているような激痛に苦しみ、地獄を味わった。
 私があまりにも痛がるので、医師がモルヒネを打ってくれたが、1時間も持たなかった。一晩に3本のモルヒネを注射し、夜が明けた頃、今度は注射の副作用で腸の蠕動(ぜんどう)作用が停止した。腸内にガスがたまり、呼吸するために空けた10センチほどのギプスの穴からお
腹が飛び出し、パンパンに膨れ上がった。私は苦しくて「お腹がパンクする」と言って医師を呼び、応急処置をしてもらった。
 今から65年前の医療は、まだ手探りの段階で治療も荒く、不親切だったように記憶している。それでも若さと生命力のおかげで、昭和28
年1月に退院することができた。

倫理研究所鳥居武二先生との出会い

 その頃、母は結核を患わずらい、大牟田(おおむた)市にある三池炭鉱の病院に入院していた。急いで病院に駆か けつけた私は医師から、「会わせたい人がいたら早く会わせなさい」と母の死の宣告を受けた。「なんたる悲劇ぞ。この母だけは、わが命に代えても助けたい」そう必死で思い悩んでいた時に、私は社団法人倫理研究所の存在を初めて知った。倫理の「り」の字も知らなかったが、どうにか母の命を
助けたくて、大牟田実践部から分蜂した四ツ山実践部の会場に飛び込んだ。
 当時、社団法人倫理研究所の九州全般を担当していたのが鳥居武二先生だった。私は幸運なことに特別に鳥居先生から個人指導を受けることができた。私はドモりながら「母がいま、死にそうなんです」と訴えた。すると白髪の鳥居先生はいきなり「親が病気をするのは、子どもが不孝をするからだ」と強い語気でおっしゃった。
 そのひと言を聞いて頭に血が上った私は「どこのどんな偉い先生か知らないが、初対面の私に親不孝呼ばわりするとは何ごとか」と開き直った。
 いま考えれば恐れ多いことだが、当時の私は若かったし、母の命を助けたい一心だった。「それならオレの言い分も聞いてくれ」と言って泣きながら、台湾からの引揚者で父をすぐに亡くし、一家を支えるために16歳で漁船の60人分の飯炊きをしながら仕送りをしてきたことをむきになって話した。
 鳥居先生は「そうですか、そうですか、若いのにずいぶん苦労をしたんですね」と言いながら目に涙をいっぱいためて私の話を聞いてくださった。その後で「でもね。私たちはどんなに親に孝養を尽くしても、親が生み育ててくれたご恩を返すことはできないでしょうね」と言われ、私はそのひと言でハッと目が覚めた。

母に頭(こうべ)を垂れて不幸を詫びる

 その足で私は母の病院へ急いだ。母は生気なく痩や せ細り、今にも消え入りそうな呼吸でベッドに静かに横たわっていた。若い頃はよく太って元気な母だった。白魚のように色白い手の甲に血管だけが青く浮かんでいた。
 その時、鳥居先生の言葉がよみがえった。そして、畑でたくさんの茎を出して苗を育てている「親いも」が、自分は養分を吸い取られてカスカスになっている様子が一瞬、頭をよぎった。
 私は初めて、母の前で頭(こうべ)を垂れて、親の心を知らずに不幸をしてきたことを心から詫びた。母は細い手を私に差し伸べて「お前たちはよくやってくれたよ。みんな本当に親孝行だったよ」と言って、ほめてくれた。
 当日、九州地方は珍しく大雪で一面の銀世界だった。寝たきりだった母に、高台にある病院からの美しい雪景色を見せたくて私は、寒かったのに病室の窓を開けた。あそこの炭鉱の屋根も、大牟田駅も、小学校の庭も一面の雪景色だと指さしながら得意気に話し、ふと振り返ると、母は雪景色ではなく、私をじっと見ていた。そして「お前にはどんなお嫁さんが来るだろうね」と言った。
 まだ20歳前の息子の未来の、先の先まで思い浮かべて案じていた母の限りない愛の深さを、私は改めて知ることができた。
 それから1週間後、母は42歳で安らかに息を引き取った。

木村重男さん木村重男(きむらしげお)
1933(昭和8)年生まれ85歳
一般社団法人倫理研究所 参与。
文部科学大臣から社会教育功労賞を受賞。著書に『夫婦の玉手箱』『豊かな人生を拓く玉手箱』など多数

 

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