コラム

命涯りあり知は涯りなし

命涯りあり知は涯りなし

人にはそれぞれの生き方があり、人生にはドラマがある。
私もいつの間にか85歳になった。ふと、あと何年生きられるかと思うことがある。
必死に生きてきた私の半生を書いてみたい。

① 台湾で終戦を迎える

台湾で出生戦争で学童疎開

 昭和8年3月、私は台湾高雄市で7人兄妹の三男として生まれた(長男は10歳で死亡)。
 戦時中は台湾でも米軍の空襲が激しく、台湾南部に位置する高雄の左営(さえい)(現・台湾新幹線始発駅)は、日本軍の機密基地が集結しており海軍の総本部や岡山飛行場が近くにあったため、わが家だけでも移転するたびに3度の爆撃を受け、近所で多くの死傷者が出た。
 ハンペイ山(仏光山)にトンネルのような大きな隧す い道ど うを掘り、軍の命令で大勢の市民が避難した。
 その1年後、B29が高雄市内に絨毯(じゅうたん)爆撃を繰り返し、3日3晩の大空襲で小学3年生の私は、ただ茫然と戦火を眺めていた。
 その後、ますます戦争が激しくなり、私たちは集団ではるか台湾山脈を越えて台中市へ学童疎開をし、そこで終戦を迎えた。戦後の騒然としたなか大変な思いをして再び高雄へ戻っては来たものの、すでにわが家は台湾人に占領されており、路頭に迷うことになる。家族8人で郷

里の長崎へ酒好きの父が死亡

 昭和21年3月、私たち家族8人は高雄からおんぼろ貨物船で広島の呉く れ港(くれこう)へと渡ると、両親の郷里である長崎県諫早市(いさはやし)の有喜町(うきまち)に引き揚げてきた。
 当地も大変な食糧難だった。米1俵、麦1俵が千円の物価高で、一人千円の所持金は瞬く間に消えた。赤ん坊のミルク代もなくなった。着の身着のままで引き揚げてきた私たちは、いわゆる「招かざる客」で、親戚からも嫌われ、貸家を探し求めて転々とし、知人宅の2階にある狭い物置き場に8人が転げ込んだ。
 そんな折、酒好きの父がメチルアルコールを飲み出した。父は間もなく廃人のようになって大村市の国立病院で42歳の若さで死亡。中学2年生だった私は、これから先のことを考えると、悲し涙の1滴も出なかったことを覚えている。

生活費を稼ぐため漁船の飯炊きに

 中学を卒業して福岡県の三池鉱山学校へ進学したものの、家計が苦しく、半年でやめた。
 母と4人の弟妹の生活費を稼ぐために、1番金になると聞いた長崎の長門漁業(ながとぎょぎょう)の漁船・満漁丸(まんりょうまる)(木船55トン)に、60人前の飯炊きとして上船することにした。
 網を積んで漁をする本船と、魚を積んで市場へ運ぶ母船、魚を集める灯船(ひぶね)が一船団となり、2千ワット数個の集魚灯で夜の海を照らし魚群を集め、網を入れて巻き上げる漁法で、一晩に3回操業(そうぎょう)する。多いときはひと網でイワシやサバがトロ箱で2千箱も入り、夜明けとともに大漁旗(たいりょうばた)をなびかせながら勇躍(ゆうやく)して港へ帰ってきたものだ。
 夜中の大海原に揺れる船上で、夜食を作り皆に食べさせる飯炊きの仕事は、まだ16歳だった私には重労働だった。

悪夢の船酔い『玄海ブルース』

 初めての航海は、長崎県の京泊港(きょうどまりこう)から韓国が見える対馬(つしま)へ1日がかりの出航だったが、玄界灘の小山のような波のうねりで船がブランコのごとく上下し、めまいがして気分が悪くなった私は、デッキの上に四つん這いになったまま動けなくなった。
 その様子を操舵(そうだ)室から見ていた船長は、持ってきたバケツを私の目の前に置いた。私は「待ってました」とばかりにバケツへ吐いた。吐き過ぎて、しまいには血まで吐いた。息苦しくて、情けなくて、涙と鼻汁でうつろになった私の目には、ついさっき食べたばかりのそうめんが、バケツの中で原型をとどめず盛り上がっているのが見えた。
 その時、耳もとで船長が大声で叫んだ。「そんなことでどうするかっ!」言うが早いか、私が吐いたばかりの汚物を大きな手ですくい上げると、私の顔に押し付けて食べさせた。独特の粘りと、臭気。圧倒され、死ぬかと思った。
 しかし航海初日のこの出来事は、後々とても役に立った。板子一枚下は地獄だという玄界灘で、船酔いしてヨタヨタしていては命がいくつあっても足りないからだ。海の男、船長の愛の一喝で、私は腹が据わった。
 以来3年間、大嵐や突風で船が転覆しそうになった時も、柱にしっかりとつかまって、不思議と2度と船酔いすることはなかった。『玄海ブルース』という流行歌が好きで、船上で「玄海灘の波に浮き寝のかもめ鳥」とよく歌っていたものだ。地形からして対馬はよく季節風が吹き、船の海難事故も多かった。
 台湾生まれの私には、冬の海はことのほか寒かった。毎食5升釜の米を2回研ぐので、手先から両腕にかけてあかぎれができた。潮水がかかるとしみて痛くて、よく泣いたものだ。

木村重男さん木村重男(きむらしげお)
1933(昭和8)年生まれ85歳
一般社団法人倫理研究所 参与。
文部科学大臣から社会教育功労賞を受賞。著書に『夫婦の玉手箱』『豊かな人生を拓く玉手箱』など多数

 

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