コラム

オリンピックに野球を呼び込んだ男~アイク生原の生涯⑤

野球をオリンピックに呼び込んだ男

⑤大洋球団の招聘(しょうへい)を断る

東京オリンピックで復活する野球を36年前、五輪種目にするために奮闘した日本人がいた。彼の名はアイク生いく原はら(本名・生原昭宏)。亜細亜大学野球部監督を経て27歳で米大リーグ・ドジャースに自費留学し、オーナー補佐まで登りつめた55年の人生は、野球と日米親善に捧げた生涯だった。

長嶋監督と生原球団社長のダブル招聘計画

 長嶋と生原が大リーグキャラバンで信頼関係を深めていた1983(昭和58)年秋、日本では大洋球団(現・横浜DeNA)の極秘戦略が進んでいた。「長嶋監督~生原球団社長」のダブル招しょうへい聘計画である。
 この話をもちかけたのは、当時、大洋漁業本社で課長を務めていた新治伸治(故人)だった。新治は東京大学時代、野球部のエースとして東京六大学リーグで通算8勝を記録し、大洋漁業から出向の形で大洋ホエールズに入団した東大出身初のプロ野球選手である。
 引退後は大洋本社に戻り、社長秘書などを歴任して、球団オーナーで本社社長の側近でもあった。
 新治と生原の出合いは、新治が海外勤務でロサンゼルス支社にいたころだった。ともに東京六大学野球出身で、ロスの自宅が近くだったこともあって親交を深めた。
 新治は生原の招待でドジャースタジアムのナイター観戦にも通った。2人はお互いの人柄にほれ込み、新治が本社に帰ってからも交際は続いていた。
 新治が生原の招聘を本社首脳や大洋球団に薦めたのは、大リーグ野球に精通した生原を球団幹部に招き、横浜のチームと球団経営を改善したいと考えたからだ。
 やがて大洋の球団社長がドジャースタジアムにオーナーのピーター・オマリーを訪ねて正式に生原の譲渡を申し入れ、生原を迷い悩ますことになる。
 大洋は単身赴任になる生原のために立派なマンションを用意し、シーズンオフには家族の待つロサンゼルスに帰ることも、夏休みにアイクの家族を日本旅行に招くことも契約案に盛り込んでいた。

魅力は破格の条件より親孝行

 だが生原が心を動かされたのは、大洋が示した物心両面の好条件ではなく、九州に残したままの両親のことだった。大洋の誘いを受ければ、久しぶりに日本で両親に孝行ができる。長年胸につかえてきた長男としての呵かしゃく責が、生原の心を揺さぶったのだ。
 そして大洋のオファーが「監督・長嶋」とセットだったことも、大きな魅力だった。
 生原は、もちろん妻や上司のオマリー、両親、早大野球部時代の監督・石井連蔵、それに実弟である筆者にも相談した。
 オマリーは生原の気持ちを尊重し、大洋入りに反対しなかった。両親は「お世話になった皆さんとよく相談しなさい」と言うだけだったが、恩師の石井と、プロ野球担当記者の経験がある筆者は反対した。成績が悪ければ簡単に幹部の首をすげ替える日本球界の体質を知っていたからだ。
 そして大洋側に最終回答するときがきた。
〈大洋の球団社長が日本に帰る日が来ました。夫は、前の晩まで「お受けします」と返事をするつもりだったようです。ところが、その翌日、「はい、お受けします」という気持ちで出かけたはずの夫の口から出た言葉は「ノー」でした。
 大洋の関係者に会い、その顔を見た瞬間、夫は思ったのです。ピーター・オマリーのようなオーナーはいない。日本に帰っても、これほど素晴らしいオーナーには巡り会えないと……。
 それは理屈ではありません。ピーターさんと共に働いた十七年間の年月は、二人が思っていた以上に夫とピーターさんを深く結びつけていたのでした。〉(生原喜美子著『ドジャースと結婚した男』ベースボール・マガジン社刊より)

日本帰国を翻意させたドジャースの魅力と恩義

 1カ月以上、生原を悩ませた大洋問題は一件落着し、長嶋の大洋監督も実現しなかった。オマリーが、当時の真相を語る。
「大洋ホエールズからアイクに招聘の話があったとき、彼は真剣に考えていた。私たちはニコラス・レストラン(ロサンゼルスの高級レストラン)でアワビを食べながら、あらゆる角度から大洋の提案について検討した。アイクは大洋での仕事がどれだけやりがいのあるものかわかっていたが、同時に彼はオマリー家とドジャース球団がそれまでに彼に示してきた厚意に対して深い恩義を感じていた。
 それにアイクは、もし彼がドジャースを去ることになったら、はたして鈴木惣太郎氏がどう思うだろうかということを心配していた。アイクは私を補佐するという仕事を喜びとしてくれていたし、なかなか結論が出ず、かれこれ10日あまり毎日そのことばかり話し合った。しかし最後には、国境を越えた世界の野球のために力を尽くすという理念がアイクの心をとらえ、いったんドジャース残留を決断してからは、二度と後ろを振り返ることはなかった」(敬称略)
( 生原伸久(いくはらのぶひさ)/産経新聞OB  日本記者クラブ会員78歳)

『東京オリンピック野球復活・陰の立役者 アイク生原の知られざる生涯/生原伸久 著』より抜粋・改変

アイク生原の 知られざる生涯

 

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