コラム

オリンピックに野球を呼び込んだ男~アイク生原の生涯④

野球をオリンピックに呼び込んだ男

④ミスター・長嶋との絆

東京オリンピックで復活する野球を36年前、五輪種目にするために奮闘した日本人がいた。
彼の名はアイク生原(いくはら)(本名・生原昭宏)。亜細亜大学野球部監督を経て27歳で米大リーグ・ドジャースに自費留学し、オーナー補佐まで登りつめた55年の人生は、野球と日米親善に捧げた生涯だった。

 ドジャース初の日本人留学生としてフロリダ州のベロビーチキャンプに参加したアイク生原は、キャンプ後、マイナーリーグに配属された。ウォルター・オマリー会長の後継者で長男のピーター・オマリーが社長兼ゼネラルマネジャーを務める3Aのスポーケン・インディアンズで用務員として働きながら、マイナーチームの実態を体験するためだった。
 選手達は英語も話せない日本人にグラブやスパイクを磨かせ、ときには卑猥(ひわい)な言葉を投げかけて、理解できない生原の「イエッサー!」を笑いものにした。
 それでもひたすら誠実に働き、英語の勉強に努めた生原は1966年、ピーターがドジャースの副社長としてロサンゼルスに戻ったとき正社員に採用され、憧れのドジャースタジアムに入った。

4時起床、4時半出勤

 若きボス・ピーターを心から尊敬していた生原は、ナイターの翌日でも毎朝8時すぎには出勤してくるピーターにどんな仕事を命じられてもいいように準備をした。そのためには毎日午前4時に起床。4時半には職場のドジャースタジアムに着く生活を続けた。
 ピーターがスムーズに仕事を始められる準備が終わると、生原の〝自習時間〟だ。他の球団職員が出勤してくるまでに新聞のスポーツ欄を読み込むことで、メジャーリーグの最新情報を頭に入れ、スポーツ現場の生きた英語を勉強した。
 毎朝4時半から8時までの3時間半は、勉強の時間と同時に、トレーニングの時間でもあった。無人のグラウンドを外野のフェンス沿いにたっぷりジョギング。このあとスタンド下にある選手用のトレーニングルームで腹筋運動を繰り返し、シャワーで汗を流してからオフィスでの仕事にかかった。早朝の日課は、「オーナー補佐兼国際担当」の要職に昇進しても変わらなかった。
 当時の生原について、のちにピーターは未亡人の喜美子にこう言っている。
「アイクの英語力の上達がめざましかったことは、とても印象的だった。アメリカに来たとき、彼の英語はとても基礎的なレベルだったからね。しかし彼には優れたコミュニケーションの能力があった。そして、なによりすばらしいのは彼の笑顔だった。彼はまだそんなに流暢には英語が話せなかったが、彼のコミュニケーションの能力は際立っていた」

留学生からオーナー補佐に昇格

 正式にドジャースの一員になった生原の仕事について、ピーター・オマリーは「アイクの最初の配属先はマイナーリーグ部門で、ドジャース所属選手を評価する選手育成担当のスタッフを補佐するのが任務だった」という。
「その後、経理、チケット販売、広報、コンセッション部門(球場内の飲食物やグッズの販売業者を監督する部門)に異動したことによって、球団全般について広い知識を得ることができたと思う」
「彼はすべての幹部会議に出席することを許されており、1982年1月19日、オーナー補佐に任命された。会長補佐としてのアイクの言動は、会長である私の経営理念とそれを実現するための施策を代弁するものであることが、球団全体の共通理解だった。会長補佐就任後のアイクは、常に最高秘密会議の一員だった」
 ドジャースでの「オーナー補佐兼国際担当」はオーナーが最も信頼する側近だった。

ミスター長嶋との大リーグ行脚

 日本の野球界に友人知己が多かった生原だが、なかでもミスタージャイアンツ・長嶋茂雄との絆は強い。
 2人の距離が近づくのは1967年の巨人ベロビーチキャンプである。ドジャースの正社員になり、キャンプのコーディネーターとして巨人の世話をした生原は、長嶋や王、金田など選手たちとも親しくなった。なかでも1980(昭和55)年に長嶋が巨人の監督を解任されてから、2人は急接近する。
 翌年からフジテレビの大リーグ番組で長嶋がスプリングキャンプやワールドシリーズを現地リポートし、生原が通訳兼アシスタントとして同行したのだ。
 6年間続いた浪人・長嶋と生原の大リーグ行脚を、長嶋は生原の妻・喜美子の著書『ドジャースと結婚した男』(ベースボール・マガジン社)で語っている。
〈「メジャー・リーグ取材のキャラバンでフロリダを回ったときも楽しかったね。アイクと僕とカメラ・クルーとディレクターとで三週間くらい、車でメジャー・リーグのキャンプをいろいろ回りましたよ。二月、野球の話題がない頃に、プロ野球ニュースで毎日、五分から十分、メジャー・リーグの話題を放送する企画があってね。僕がキャスターで、アイクさんが取材の交渉を全部やってくれて。ドジャースとは関係がない仕事だから、ピーターさんにお許しをいただいて、アイクさんに手伝ってもらったんですよ。オリンピック関係を除くと、アイクさんと接する機会が一番多かったのは僕じゃないかな。アメリカに行くと必ず連絡とって会ってたし、オリンピックの関係で韓国へも一緒に行きましたからね」〉(敬称略)
( 生原伸久(いくはらのぶひさ)/産経新聞OB  日本記者クラブ会員77歳)

『東京オリンピック野球復活・陰の立役者 アイク生原の知られざる生涯/生原伸久 著』より抜粋・改変

アイク生原の 知られざる生涯

 

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