コラム

【新連載】オリンピックに野球を呼び込んだ男~アイク生原の生涯①

野球をオリンピックに 呼び込んだ男

❶ロス五輪組織委員長・ユべロスからの電話

東京オリンピックで復活する野球を36年前、五輪種目にするために奮闘した日本人がいた。
彼の名はアイク生原(いくはら)(本名・生原昭宏)。
亜細亜大学野球部監督を経て27歳で米大リーグ・ドジャースに自費留学し、オーナー補佐まで登りつめた55年の人生は、野球と日米親善に捧げた生涯だった。

野球をオリンピックの正式種目にしたい

 それは、ピーター・ユベロスからドジャースのオーナー、ピーター・オマリーにかかってきた一本の電話から始まった。アイク生原の著書『ドジャーウェイ』(エイデル研究所)によると――。
〈野球を正式種目にの運動が積極的になったのは一九八二年も真夏のある日、ロスオリンピック組織委員会の委員長であったピーター・ユーベロスからピーター・オマーリーへの電話に始まった。ユーベロスはオマーリーに「野球が正式種目になる可能性が出た。私は実現させたい」といった。オマーリーは喜んだ。オリンピック組織委員会の野球担当のコミッショナーだったロン・レーンとラッド・デドウももちろんこの動きに入ったし、世界アマチュア野球機構の長、ボブ・スミスも重要なメンバーであった。
 ロスオリンピック組織委員会と大リーグのオーナー、そしてアマチュア組織のトップがスクラムを組んでの大仕事が始まった。ユーベロスの作戦はこうだった。一〇月一一日、スイスのローザンヌで開かれるIOCの最高決議機関である執行役員会で決定さすというものだが、そのためには当時九人の役員の一人、日本から出ている清川正二氏に主張者になってもらうことであった。その理由は、ベースボールといえばアメリカのスポーツというだけで多くの国、特に共産圏諸国の賛成は得られないと読んだからだ。〉
 オマリーも、当時のロビー活動を回想する。
「ボーウィ・キューンMLB(大リーグ)コミッショナー、南カリフォルニア大学の伝説的名監督ロッド・デドー、そしてボブ・スミス国際野球連盟会長が、IOC(国際オリンピック委員会)に働きかけて野球をオリンピックの正式種目にしたいので尽力してほしいといってきた。
 私はアイクとそのことについて語り合い、なかなかの難題ではあるが、大いにやりがいのある仕事だと考えた。キューン、デドー、スミスと私からなる事実上の委員会は早速戦略を練ることになったが、アイクも最初からそれにかかわっていた。私たちは手分けして世界中のIOC委員と面談し、手ごたえを感じた」

ロビー活動のスタートは日本IOC委員の説得

 まず当時のIOC委員・清川正二に野球の正式種目への採用を主張してもらうよう説得する運動は、『ドジャーウェイ』にも克明に記されている。
〈八月二七日、私は震えるような思いの使命を受けて東京に向けて発った。二八日、土曜日、東京に着くや否や社会人野球の協会理事の山本英一郎氏と朝日新聞企画部の石井連蔵氏の三人でホテルオークラのコンチネンタルルームで会い、作戦を練った。翌二九日、日曜日朝、長嶋茂雄氏宅を訪れ、今回訪日の目的と協力を要請したが、長嶋夫人の薦めで午後、練馬の東龍太郎氏(著者注:IOC名誉委員)に面会を願った。
 石井氏の強い指示でまずアマチュア野球関係者の理解と協力を得たうえで社会人野球協会会長武田豊氏と日本学生野球協会会長武田孟氏の連名で清川氏に懇請するというものである。石井連蔵氏は私の早大の偉大な先輩であり監督でもあったが、仕事を持たれている方であるから常に私と行動をとって貰えぬと覚悟をしていた。しかし石井氏は東に西に文字通り大阪まで清水一郎氏(全日本大学野球連盟専務理事)と共に飛んでいただき高校野球連盟会長牧野直隆氏と同副会長松井一之氏ともお会いすることができた。〉
〈第一回訪日の目的を終えた私は九月一一日、ロスアンゼルスに戻った。その頃巨人軍のスカウト、岩本堯氏が来られており、大リーグ選手視察をしたいということで私が案内することになっていた。ところが九月一五日、サンフランシスコにいた私のもとへオマーリーから電話が入った。それは今からカンファランス・コール(著者注:電話会議)が始まるというもので、参加する人達はユーベロス、大リーグ・コミッショナーのヴーイ・キューン、ボブ・スミスとラッド・デドウであった。
 ユーベロス委員長は日本の実力者への働きかけをお願いしたいと、オマーリーに日本行きを頼み込んだ。私はロスに戻った。そしてオマーリーと私は九月一九日夕方、東京に着き定宿のホテルオークラで巨人軍正力亨オーナーと読売新聞運動部長星野敦志氏と午後一一時まで会談した。オマーリーの四日間の東京滞在は誠にめまぐるしかったが、私のボスのアマチュアスポーツへの情熱が全身よりほとばしり精力的な動きが私の疲れを忘れさせた。〉
 生原の文章は、野球を五輪種目にする活動の初期の動きを切り取ったものだが、その後、水面下のロビー活動はヨーロッパまで広がることになる。

( 生原伸久(いくはらのぶひさ)/産経新聞OB 日本記者クラブ会員 77歳)

『東京オリンピック野球復活・陰の立役者 アイク生原の知られざる生涯/生原伸久 著』より抜粋・改変

アイク生原の 知られざる生涯

 

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