コラム

元新聞記者が会った昭和の偉人たち アーウー宰相・大平正芳

昭和を駆け抜けた偉人たちの横顔に迫る【最終回】
❺ アーウー宰相・大平正芳

昭和47年(1972年)、自民党で「三角大福戦争」が勃発しました。佐藤栄作首相が退任したあとの総裁選挙で、派閥領袖の三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫が出馬して熾烈(しれつ)な後継者争いを展開したのです。
当時、私は社会部記者として国会を担当していました。国会議事堂には与野党に記者クラブがあり、大勢の政治部記者がいますが、新聞各社とNHKは社会部の担当記者も1人~2人常駐していたのです。
6月17日、7年余の長期政権に自ら幕を引いた佐藤首相は国会内で自民党の議員総会を開き、涙を浮かべて首相・自民党総裁の引退を表明しました。
当時の自民党は福田さんと田中さんが佐藤総裁を支える体制で、佐藤さんは後継総裁に福田さんを指名する予定でした。しかし田中さんが総裁選に名乗りを上げたため一転、4人による選挙となったのです。

朴訥で謙虚な知性派

衆議院の面会受付所の上にあった私たちの社会部記者クラブでも、三角大福に記者会見を申し入れ、個別に共同インタビューを行いました。それぞれ派閥を率いる大物政治家なので、話は個性的で面白かったのですが、私がいまでも印象に残っているのは大平さんとの会見でした。
私たちがそろって赤坂の大平事務所を訪ねると、大平さんは全員に大きな松花堂弁当を用意して「さあ、一緒に食べましょう」と箸をとりました。ちょうど昼過ぎでしたが、この弁当がおいしかった。
「僕は四国の百姓ですから、いつも米のごはんです。米の飯がいちばんうまい」
大平さんは目を細め、おいしそうに弁当を食べました。こちらが日ごろ相手にする政治部記者と違うせいか、ざっくばらんな雑談調で、人柄の良さを感じました。大平さんは香川県三豊郡和田村(現観音寺市)で農家の三男として生まれました。実家は中流の農家でしたが、6人の子供を抱えた家計は苦しく、後に東京商科大学(現一橋大学)に進学したのも2つの奨学金のおかげでした。
卒業後は大蔵省(現財務省)に入り、上司だった池田勇人蔵相(当時)の勧めで政治家になりますが、朴訥(ぼくとつ)で謙虚な読書家で「戦後政界屈指の知性派」といわれています。
熾烈(しれつ)な三角大福戦争に勝った田中首相が、大平さんを頼りにして大蔵大臣や外務大臣に重用したのも、その知性と人柄を高くかったからでした。
そういえば、松花堂弁当をつつきながら話す大平さんは、流れるような饒舌(じょうぜつ)で、有名な「アー、ウー」は出ませんでした。
国会答弁や公式な発言で「アーウー宰相」の異名をとったことについて、大平さんはのちにこう言っています。
「外務大臣の答弁は外国も注目しているのでへたなことは言えない。そこで『アー』と言いながら考え、『ウー』と言いながら文章を練って言うクセがついたのです」
たしかに国会答弁などをメモしていると、「アーウー」を除けば理路整然としてそのまま文章になったので、佐藤さんや竹下登さんの意味不明な発言より原稿にするのが楽な政治家でした。

記憶力と気配りの天才・田中角栄

一方、田中さんの共同会見は選対本部を置いたホテルニューオータニでした。月番の幹事だった私は、あらかじめたくさんの質問を用意していましたが、いざ会見が始まると角栄節の独演会。こちらの質問にはお構いなしで得意の「日本列島改造論」を熱っぽく語って立ち上がり、「ヨッ」と右手を上げて出て行きました。
田中さんの取材で印象的だったのは、毎朝、目白御殿(自宅)で行われる選挙区の支持者たちとの面会でした。国会に出かける前に応接間に出てきた田中さんは、新潟から貸し切りバスで上京した支持者たちを見回すと「ヨ~、君は○○の息子だな。オヤジさんはぐあいが悪かったそうだが、元気になったか?」と、いちいち名前をあげて声をかけるのです。
田中さんの記憶力は抜群で、委員会の大臣答弁では数字を羅列して機関銃のようにまくしたてるので、野党の質問者もア然とするほどでした。大蔵大臣時代も、エリート官僚たちが学歴のない田中さんに敬服したのは、不断の勉強と細やかな気配りがあったからでしょう。

48年ぶりの悲劇

 三木さんとは四谷の事務所で会いました。
少数派閥を率いて独自の路線を歩くこの党人派政治家は無類のピーナツ好きでした。私たちとの会見でも、テーブルのピーナツをポリポリつまみながら、低いよく通る声で持論を展開しました。
福田さんは東大金時計組の秀才です。語り口は明快でわかりやすく、ソファーのひじ掛けを指でポンポン叩きながら話すのがクセでした。
田中さんのあとは三木さん、福田さん、大平さんの順で首相を務めましたが、大平さんは昭和55年(1980年)5月30日、衆参ダブル選挙の街頭演説で倒れ、心筋梗塞で急逝しました。
現職総理大臣の死亡は昭和7年(1932年)の5・15事件で殺害された犬養毅首相以来48年ぶり。まだ70歳でした。

(おわり)

生原伸久(いくはら・のぶひさ)
産経新聞OB。日本記者クラブ館員。76歳

 

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