コラム

命涯(かぎ)りあり知は涯りなし⑥

命涯りあり知は涯りなし

人にはそれぞれの生き方があり、人生にはドラマがある。私もいつの間にか86歳になった。
ふと、あと何年生きられるかと思うことがある。必死に生きてきた私の半生を書いてみたい。

⑥貧しいなかでの支援が実を結ぶ

学友の看護婦への夢を支援

 敗戦後、台湾から引き揚げてきた私たち一家は、間もなく父がアルコールで廃人のようになり他界。家族を養うために中学卒業後すぐに漁船の飯炊きになった私は、船の事故に巻き込まれて大手術を受けた。無事に退院したものの母が結核で他界。一念発起した私は、昼間は薬局で働きながら夜学に通い始めた。
    *  *  *
 戦後、日本の復興に多大な貢献をしてきた石炭産業。しかし天下の三池鉱山も労資の対立が激化し、組合闘争で町全体が冷え込んでいた。
 そんなある日、クラスメイトのK君がめずらしく私の店に顔を出した。そして「世の中には不幸な人もいるもんだ――」と言った。話を聞くと、同じ高校の普通科の女子生徒で、この春、大阪の国立刀根山看護学校に合格したが、旅費がなくて入学をあきらめるという。全国から
20名の採用で2年間学び卒業すると看護婦として勤務できる超難関のエリート校で、月800円の奨学金が支給されるから生活の心配はないのだという。それが、入学まであと1週間と聞いて私は「旅費の心配はしなくていいから、すぐ入学の手続きをするようにその人に伝えてほしい」とK君に頼み、その夜、学校で初めてAさんに会った。
 彼女は信じられないという顔をしていたが、賢そうで信頼できる人柄を感じたので、私は無条件で2万円を差し上げることにした。ただ、必ず学校を卒業して立派な看護婦になることを約束してもらった。苦学生の私にとって62年前の2万円は大金だったが、船で大怪我をしたときの保険の一時金があった。将来、大学受験のためにとためておいた命代わりの「虎の子」だった。その金が思いがけないところで役に立って良かった。
 いよいよ出発という前日に、K君と私は彼女の家に招かれた。荒尾の荒地の梨山を開墾(かいこん)した「掘っ立て小屋」に家族6人で住んでいた。成績優秀な女子高生だったが、これまでノートを買ってもらったこともなく、生活は質素で土壁からは外が透けて見えていた。お別れ会は莚(むしろ)を敷いたリンゴ箱の上の小皿に、イワシの目刺しが2匹ずつ出された。家族の喜びようはひとしおで、じつに楽しかった。
 昭和31年4月8日、彼女は荒尾駅から友達や家族に見送られ、勇躍して大阪の国立看護学校へ発った。このことが熊本日日新聞に「感
激の鹿島立ち」の見出しで掲載された。
 後日談として、Aさんはよく努力をして、第2位の優秀な成績で卒業して看護婦になり、私との約束を見事に果たしてくれた。

学校に行きたくても行けない

 まともな教育を受けられなかった私は、平成15年、国際協力の民間活動団体(NGO)日本民際交流センターが、経済的に貧しいタイやラオスの子どもたちの進学の夢を叶か なえるために設けた「ダルニー奨学金」のことを知って、すぐに参加することにした。小・中学生たちの進学のために里親になり、一人の子どもに対して年間1万円を3年間提供する支援活動で、9年間31名へ援助をしてきた。
 民際センターから届いた感謝状の内容を紹介すると、その趣旨がよくわかっていただけると思う。少し長くなるが嬉しい文面に、国際交流の大切さと役割を忘れることができない。

木村重男様
  照子様
(前略)2003年から2011年度まで9年間の長きにわたり、15名のタイの中学生と16名のラオスの小学生に奨学金のご支援を賜り、厚くお礼申し上げます。
 最初の生徒は15歳で卒業し、9年を経ておりますので、24歳の働き盛りであるかと想定いたします。
 2011年の東日本大震災の折には、タイの中学生等が自発的に寄付を集め、日本に送金し、陸前高田1中がタイの奨学金を1995年から支援しておりましたので、そこに寄付いたしました。
 また、未だ貧しいラオスの子どもたちからは日本語で歌った励ましのメッセージが届きました。
 このことは正に日本とタイ・ラオスとのこころの絆の一端を物語ることだと思います。このようなこころの絆は、多くの方々の長い努力のなかで培われた賜物だと思います。木村ご夫妻もその一翼を担ったと確信します。
 木村ご夫妻の奨学金で卒業できた31名の若者は、年をとり、余裕ができれば、何いずれは、世界の経済的に恵まれない次世代の子どもの支援者と言う立場に成長することと思います。
(中略)多大な功績のあった木村ご夫妻に、心より感謝の意を含み「感謝状」を同封いたします。長年、本当にありがとうございました。

 2014年3月20日
 一般財団法人(※) 民際センター 理事長 秋尾 晃正
※現在は「公益法人」

 後日、私はラオスの研修旅行に参加して、成長した里子たちに会ってきた。限られた年金生活からのやりくりに実が結び、どんなにか嬉しかった。このことは地元御殿場の「岳麓(がくろく)新聞」にも平成19年1月7日に掲載された。
 

木村重男さん木村重男(きむらしげお)
1933(昭和8)年生まれ85歳
一般社団法人倫理研究所 参与。
文部科学大臣から社会教育功労賞を受賞。著書に『夫婦の玉手箱』『豊かな人生を拓く玉手箱』など多数

 

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